母が遊びに来てました 2 | 生きてる時も死ぬ時も笑顔でいたい いろいろないろ

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健やかで心地よい暮らしを提案するナースセラピストにゃおのブログです

みなさま、こんばんはニコニコ


先ずは自分と仲直り♡

ナースセラピストNyaoことイノウエナオコです♡



今日はお昼から


女神の温活イベント

を開催させて頂き、

イベンター兼SS健康法のりえちゃんと、
よもぎ蒸しの瑠美ちゃんと、
骨盤股ケアの私

で、させて頂きました爆笑

来てくださった方には大変好評で、ほんっとに嬉しかったてすラブラブラブ




その後は夕方から

クリスタルボウルヒーリング+ヨガヒーリング

に参加させて頂きましたおねがいおねがいおねがい


両方ともまた、別記事書きまーすウインク





さて、母が来ていた、の第二段。

こちらの続き


私今まで聴くのをためらっていたことを聴いてみました。


それは、
父親の事


うちね、父親、わたしが中3のときに亡くなってます。

それから女手一つで3人の子を育て上げてくれたのですが、

父の亡くなった時、私は14歳。

バリバリの反抗期、な訳です。

かといって、不良したり、警察沙汰になったり、停学になったりするようなことはなく、
一応全うな中学生だったのですが。笑

この頃ね、
うちの空気がものすごく悪かったんです。

仲が、悪いの、両親の。


もちろん大人になってある程度経って、



あの時母は寂しかっただけなんや!!



ってわかってはいたものの、


その当時は、


両親のいがみ合う(と言うより、母が一方的に愚痴愚痴言って、父は黙りこんでしまう、という状態でした。
今思えば父も社会生活で精神的に参ってたんだろうと思うのです。)
姿が、本当に嫌で、



父にも母にも愛されていない


と信じていた私は(思春期だからね)


小学校高学年、10歳ころから

自殺願望のある子供でした。

居なくなりたいって思ってた。


まあ、父が亡くなったのをきっかけに、

私は生きなくちゃ

と思うようになりましたが。



今回、母から父とのなれそめから、

父の死、

それをどう感じていたのか、


を聴いて



なーんだ、私、愛されてた!!


という実感を得たとともに、


私は昔から感受性が高くて、

泣き虫だったわ!!

と、思い出し、


だから、私は泣いてもよくて、むしろ、それですっきりする

のだ、と。笑


そこ、押さえたら、いろんな意味で消化不良真顔


なので、私が泣いてても、泣かせといて下さい。笑ニヤニヤ


そして愛されてる事が標準装備だったな♡


と、改めて確信を持つことが出来て良かったです。


母は相変わらず

感情表現が下手なので、

損しちゃうやろなー、と思った部分もあるのですが、

そーゆうときは、

私はこうやって言ってもらえた方が嬉しい

って言う表現方法に変えようーっと。笑ニヒヒ



先日の綺麗な空とおしゃべりな雲と富士山富士山



☆♡たくさんの豊かさがまぁるく循環していきます♡☆