先日観た映画のタイトル。
知った動機はとても不純?で。
私の大好きな作家さんが、トークショーをするから、というのが、この映画を知るきっかけでした。
映画に対してなんの知識ももたず。
映画は
視覚障害のある人が
アクション映画を作る⁉
というものですが、
よくある
障害をもった人が活躍する事で
「がんばる」「泣ける」「元気づけられる」
というものでは無く、
純粋に映画どうやって作る?って感じのもの。
映像のお仕事やなんかをしてる人にはとても興味深いものもあると思いました。
先天性の視覚障害。
見る、という概念がまず無い。
彼らから見たら目が見える人間は超能力者、
だそうです。
が、
目が見えるものからしたら目が見えない筈の人が
誰よりもコンピュータゲームに強かったり、
料理を上手に作れたりするほうがすごくて、
まるで超能力者、と思いますよね。
目が見えない人にとっては、
目が見える人の世界はわからないだろうし、
目が見えるものにとって見えない人の世界はわからない。
だけど普段
目が見える健常者は見えない人に対してかわいそう、的な発言をする事が多いよね。
でもそういうものではない。
マジョリティとマイノリティの話をトークショーの時されてたけど、
ほんと、多いか多くないか、なだけで、
多ければ偉いわけでもないし。
その人、と付き合う時にどこにカテゴライズするか、
というのもトークショーではなされていたけど、
ほんと、それだけの事だと思う。
目の見えない人、として接するのか、
おもしろい人やなぁって思って接するのか、
そういうもの。
マジョリティである
目が見える人々だってみんな全然違う。
私は難聴がある。
けど、全く聴こえないわけではない。
だから障がい者手帳をもらうことも出来ない。
欲しいのか?と言われたらそうでも無いけど、
補聴器つけるのはあんまり好きじゃない。
だから会話も聴こえる事もあれば聴こえない事もある。
だけどこれは私の一部で、
私はこれだけからできてる訳じゃない。
例えば
心臓や腎臓の病気があったり、糖尿病があったり、
外見からはよくわからなくても障がいのある人もいるわけで。
逆に脊椎の障がいで歩くことができなかったり、
生まれつきからだの一部のどこかが足りなかったり短かったり、という人もいる。
だけど、それも
ただ単にその人を形作ってる一部なんだよね。
そういうことを改めて考えた映画だった。
好きな作家さんは今度その方の原作、脚本の映画が上映されます。
その宣伝も兼ねてたのですが、
以前とある雑誌のインタビューでその方が、
絶望を感じる事があるけど、それこそが新たな扉を開けるきっかけになる、
どこか希望につながる予感がある、
という事を話されていて、
この文章を読んだ時に、
どうしてもどうしても、
seagulloopの 扉 を聴いて欲しかったのです。
やっと念願叶いました。
CD渡せた。嬉しい。