受取りかた | 色遊美(いろあそび)日記

色遊美(いろあそび)日記

工作や料理、起業についてのブログです。
副業で、全て0からスタートされる方の参考になればと思い、試行錯誤を記載していってます。

誰かから指摘された時に、その言葉をどう受け取るか?
それが、自分の人生の幅を変えていくのだなと感じた。
  
 
先日、
暴言を吐いていた高校生の軽度の障害児に、

「小1の子達は、低学年で技術も未熟だから汚すのは当たり前。
“作業しないで遊んでばかり!”と怒ってるけど、したくないことは無理にしなくていいのがここのルール。
だから、今、貴方が部屋に籠って作業してないのも何も言われない。いつも“無理にしなくても良い”って言われてるよね?
それを怒るのだったら、別グループで頑張ってる小5の子達が、貴方を見ても同じ気持ちになるんじゃないかな?」

と、以前は健常児の3〜4年生に、
「相手の気持ちを考えるように」と諭した時と同じような話をしたら、

言葉で傷つけられた、
傷ついてフラッシュバックして眠れない…との訴え。
 
 
これのどこに傷ついてしまう要素があるのか、
本当にサッパリ解らないけれど、
ここから学んだのは、

「傷つく」という受け取り方を選んでいるのは本人なのだということ。
  
 
普通の健常児の3〜4年生なら、
理解し納得して、低学年に暴言を吐いた事を謝りに行って、
「ごめんね」「いいよ」で収まるシーンなので、

特に何も無いところに「自分で意味づけ」をして、
それに合った「感情」を自分で好き好んで選んでいること、
物事は、本当に自分の受け取り方次第なんだな、ということが、実感的に顕著にわかった。
   
 
  
一般的な健常者同士の人間関係でも、
諭されたり、指摘されたり、話をされることもある。

相手は、良くなって欲しいから指摘することもあるだろう。
客観的事実を述べることもあるだろう。

そんな時、どう受け取るかで、
気にして、いつまでもその事ばかりを考えて囚われて凹んでいる間に、すごく人生の時間を無駄にして、
自分の成長の可能性の芽を自分で潰してしまってるんだな、と感じた。

相手を責めていつまでも自分は被害者だと言い、
厳しいことを言われたく無いからと相手を避けているうちに、
「今しかない学べるチャンス」を自分から遠ざけてしまう。

それって、凄く勿体無いことだと私は思う。
  

 
「責められてる」「傷ついた」
そうして、相手のせいにしていれば、自分は何も変わらなくて自分のままでいられる。
そして、そこに成長はない。


「傷ついた」「責められてる」そんなことを言えるような
『周りが対応を変えてくれる、我儘が通用する場』にいるうちは、良いだろう。

ただ、いきなり通用しない場に行ったら、どうするのか?

傷ついたと泣いても何も解決しない。
「だから何? やることやって」
そんな一言で終わることも普通にある。

そこでまた、相手のせいにして逃げるのか?
逃げ続けた先は、自滅しかない。

厳しいことを言わず、現実を突きつけないようにすることは優しさではなく、
白昼夢を見せて、生命力を弱らせていくようなもの。

ビジネスにしろリアルにしろ、死なずに生き残っていって欲しいから。
 

自分の受け取り方の癖に気づいて、
自分を成長させていって欲しいと、私は願う。

物事の受け取り方次第で、吸収できる幅が変わり、人生の幅が変わってくるから。