色彩学校 ワークショップ参加 | 色遊美(いろあそび)日記

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工作や料理、起業についてのブログです。
副業で、全て0からスタートされる方の参考になればと思い、試行錯誤を記載していってます。

土曜日、福岡であった色彩学校のワークショップに参加してきました。

今回は、コミュニケーションについてのワークショップで、大きなタイトルは
『自分の殻を破るためのコミュニケーションを探る』。

午前中のAプログラムは
「色から見つめる私のコミュニケーション力」というもので、
自分の苦手な人の傾向、苦手な人に相対した時の自分の外面と内面、これからどうしていくか…を、絵に表現して考え、読み解いていきました。

午後のBプログラムは、
「固定化したコミュニケーションから一歩踏み出すためには」という内容で、
以前、課題で行った、普段の自分のコミュニケーションの傾向を絵に表し、そのルーツはどこにあるのか子どもの頃を振り返って表し、考え、読み解く…というワークでした。


今回、私が描いた塗り絵のひとつ。
「『好き』に囲まれシアワセな私」
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最近は慣れたもので、ポンポンやスパンコールなど、マイ素材を持ち込んでは、押したり貼ったりしてます。
中には、切り抜きをしたり、白い紙に塗り絵を幾つかコラージュして新しいものを作る人も。
(そのアイデアはなかったので、目から鱗でした)



今回のBワークで、講師からの読み解きを受け、帰ってきて、以前描いていた絵を見直して気づいたこと。


10年以上前から、私の絵にはスカーレットと紫みの青の対比色が、常に繰り返し二分される形で出てきていて、何故この色が常に出るのか、自分でも不思議に思っていたのですが。


今回、子ども時代を見直した時、「幼少期の出来事に酷く疲れて傷ついていた」ことを、ようやく認めて表に出せたことに気づきました。

今まで
「こんななんだよ。傷ついてるんだよ」
と、いうことを、ずっと無意識にサインとして出していながらも、
「言ったらどうなるかわかってる?」という当時の圧力が、ずっと自分を支配していたために、「言えないんだよ」と抑えていたことが、紫みの青として表れていたように思います。

謎がとけて、一寸スッキリ。

今回、青が取れたことも含め、最近は「自分の気持ちを言えないワタシ」を脱してきているのかもしれません。

これに自分で気づいたこと(メタ認知)は、意識的な行動変容へ繋げられるので、大きな収穫でした。


他の方が、「幼い頃の家族関係による傷が、大きくなって影響していた」という気づきを発見しているところは何度となく見てきており、
児童や保護者の観察からも、ここの家庭環境に何かある(あった)から、この問題が起こっているんだな…と感じることはあったのですが、
幼少期の傷というのが、これほどまでに強く残るものとは思いませんでした。



「起こっているものごとには全て意味がある」…色彩学校で言われている言葉ですが、起こるものごとの中から、何をくみ取るか、何に気づくかは本人次第だという気がしてます。
そして、気づきを得て、変える(変わる)かどうか決めるのも本人次第。

「答えは自分の中にある」(どこかの哲学者の言葉)…悩みの答えを、本当は既に知っていることが多いものの、問題を直視して向き合いたくないために、正視しないで気づかぬフリをしていることが多いのかもしれません。

自分の人生を自分で変えるために。
気づきを無駄にせず、改善を重ねていきたいと思った次第でした。