思いもよらぬ展開。友人の息子が金沢から引っ越しするという情報は数日前からえていた。父親が先行して車で行き、荷物は引っ越し業者に依頼するということだったので出番はないのかと思っていた。が、行かねばならぬ展開となる。その車が金沢で故障した。父親本人は電車で帰宅。というわけで引っ越しと清掃作業も含め車を陸送するため友人の車で金沢まで向かうことになった。
それがオモテ向きの理由だということは感覚で知っていた。あくまで方便であり、オプションであり、またひとつのミッションであるということ。真の目的はわからなかったが、目指すべき場所が金沢だというのでなんとなくは感じていた。
高速で北陸まで向かうのは初めて。さほど時間はかからなかった。まずその日は清掃作業と荷物の積み込みを済ませてしまうことにした。何とか目処が立ち、金沢のB級グルメを堪能し、初日をうまく乗り切ることができた。オモテの目的は完了。
次の日の早朝、ホテルを出て能登方面へと向かった。長年放置されていた実家。遠目に見てもわかるほどのこんもりとした森。密生した木々により中は黒い森となっていた。人を近づけさせないような自然の威厳を醸しだしはじめている。ワタクシの原点。再生のためのプロセスなのだろう。その場はひとつのシステムとして稼働し始めているように感じた。一般的見地においては迷惑で無責任な話かもしれないが、これでよいのだと思う。なんの寂しさもない。ただ、ありがとうと。
そのあとお墓で般若心経をあげ、村社である白山神社で祝詞をあげた。
私は呼ばれたのだ。誰か、何者か、どんな存在かは知らないが。呼ばれる時は現実的要因を超越する事象が起こる。わかりやすく。実家、お墓、神社、この3つの場はワタクシを形づくるベース、ルーツ。そこへ戻る。巡る。再生。生まれ変わるという要素だったかもしれない。
金沢へ戻り、帰りの話をしていた時、ふと友人が新潟の知人へ連絡を取ろうかと言い出した。言い出したものの迷っている。何度か背中をプッシュした。すると上越でおちあうことになり、高速で上越へと向かった。今年の春分に会ったことのある夫婦だった。お昼を一緒に食べながら色々と話すうち、どんな流れかこれから長野へ行こうと言うことになった。時間的制約もないのでその流れにおまかせすることにした。行き先は松代。皆神山。そういえば過去に何かで読んだことのある聖地のひとつで、いつかいってみたいと思っていた場所。まさかこんな機会に思いがけずご縁になるとは。岩戸神社の石室のような空間に入った。ワタクシの岩戸も開きつつある。さらに上へと向かい各社へと参拝。富士に通ずる湧き水跡からのエネルギーを転写していただく。何かを感じ取るセンサーは人それぞれがいろんな機能として有しているが、自分は自覚できるものはまだないのでよくはわからない。が、ただなんとかわかること。
何かに呼ばれた。そしてワタクシというひとつのシステムが稼働を始め、暖機運転状態にあるということ。まだ完全でないにしろ、スイッチはすでに押されている。今まで頑なに封印してきたのは不安だったか恐怖だったかは知らないが、もう動き始めている。
これは自分一人に限ったことではなく、全世界同時多発的にサルのいも洗いは始まっている。
ひとりひとりがありのままの存在として生きる時代へと向かっている。
松代大本営
霊山パワーと皆神山の謎