伊具三十三観音の最終の三十三番、渓水寺へと向かった。さきほどの河原町とはすぐ近く。近辺には瑞雲寺があり、こちらの副住職さんとは何度かお会いして話しをしている。巨石やいわれのある石に非常に興味を抱き、丸森町内だけでも数十箇所、県外も含め様々な場所へ赴きHP上でも紹介されている。また、近くには製糸工場後があり、なかなか見ごたえのある石垣が残っている。
国道113号線から曲がって雉子尾川を渡り、左折する。右折でもいける。どちらでもよいのでとにかく山のほうへ向かえばお寺は見えてくる。看板もあるのでわかりやすい。
こちらの渓水寺さん、昨年3人で回ったときの印象が強く、なにかひきつけるものがあった。なので今回ある程度時間に余裕を持って行こうと最初から決めていた。
前回うかがったときは、小雨の振る中、副住職さんと思しき方にいろいろ説明をしていただき、数珠までいただいた。印象的なシーンが多々あったとはいえ、彼の人柄が忘れられなかった。
本堂は近年再建されたものでまだ新しい。
そして登りきると、彼はいた。待ち合わせしていたかのように。
自分も驚くこともなく、当然のように。
彼は前回お参りした時のことを覚えていてくれていた。実に嬉しい。
本堂左手の観音堂へと案内していただく。
ろうそくと線香も用意していただき、堂内でおまいりすることができた。
正面に正観音、そして左手に石造の正観音。石仏のほうが古いということ。
巡礼歌 「いきめぐり ここまできたる おいずりを たにみずでらに すすぎおさむる」
サービス精神旺盛な彼に、歴代住職のお墓からの眺めを是非ということでこの一枚。
そして彼がまだ若かりし頃に座禅していたという場所にも案内してもらった。
そして本堂へと案内される。パートナーはもう観音堂の段階で事の成り行きに戸惑っている様子。
俺は、無論楽しんでいる。味わっている。なんてすばらしい!これだよこれ。
まさに観音巡りの真髄というか、核にふれている。
そして250mlの三ツ矢サイダーをいただく。懐かしい。何故かお寺にマッチしている。
そしていろんな話をしながら、アールグレイとお茶菓子までいただく。
この展開、イイ!観音巡りの話から始まり、政治の話やらお互いの話へと続く。
パートナーの頭の上に巨大なクエスチョンマークがあるのを感じる。彼女は不慣れなのだ。
さて、まだ昼飯がまだだということで帰ろうかとすると、「おにぎり握りましょうか」の一言に感動すら覚えつつ、弁当を買ってあることを告げると、「こちらでどうぞ」と言われたので、その成り行きに任せることにした。
お茶をいただきながら、パートナーと2人、本堂で弁当をほうばる。なんとも不思議な光景だ。いろんな体験してきたが久々に心躍るような楽しさを感じた。パートナーはなんとも表現できない表情。
さらにデザートとして、ブドウとミニトマト。追い討ちをかけるように母親が到着、彼女もまた似たような匂いを感じる。スイカまでご馳走になる。本来お寺さんには何か持っていかねばならないのに、なんだか至れり尽くせり状態。手ぶらで来たのが申し訳なかった。
彼は我々に手書きで三帰を書いてくれた。
南無帰依佛
南無帰依法
南無帰依僧
しかと心に留めよう。
素直で純真、純粋。渓水寺というお寺の名にふさわしい人物。一般社会では彼は苦しんだかもしれない。
彼は自分とは一学年下という年齢。そして漢字は違えど名前が同じだった。愛嬌があり親しみやすい彼だが、何か特別ご縁を感じた。「今度は観音様じゃなくて、私に会いに来てください。」という言葉が残った。自分にとって見れば、それはイコールなのだが、ともあれ今後また機会があればお邪魔することになるだろう。
自分が今後模索することのひとつに、「開かれた寺」というのがある。ここは重要な要素を秘めている。結局はその箱ではなく、箱に入っている人なのだろう。地域にとっての象徴的、憩いの場、基点となる、心のオアシスとでもいうべき場。政治の話をしていたとき、自分が「政治家はちゃんと政治をしてくれさえすればよい。」といった。お寺さんがお寺さんであるということ、本来あるべき姿。もっと増えてほしいものだ。