この夏、鈴鹿チームの合同練習の機会を増やすために会社と交渉して、毎週水曜日だった休みのローテーションを毎週日曜日にしてもらった。理由はもちろん自転車練習のためとは言えないので、子供たちと遊ぶ機会を増やすためと言った。そしたらあっさり毎週日曜の休みに変えてくれた。社員の意見をすぐさま取り入れてくれるなんてなかなか良い会社である。おかげ様で今年の夏も熱くすることが出来たし、副産物として子供たちと遊んだり家族で過ごす時間も増えた。副産物というかこっちがメインの名目なのだが。しかし、社会人になってからずっと平日が休みで暮らしてきた身であるので、この日曜休みというのがどうも性に合わないことがわかってきた。自転車やマラソンを始めた頃は、友達のほとんどが土日休みのために、練習会やイベント等になかなか参加できず、羨ましい気持ちも大いにあったが、いざ日曜休みになってそれらに参加してみると、はっきり言うてしんどい。一週間のうちに体が休まる日が一日たりとも無い。決して友達や家族と遊ぶことが嫌なわけではないが、周りのみんなが学校に行ったり働いているときにゆっくり休むということを続けてきた者にとって、ひとりになる機会がなくなるだけで随分と疲れるのだ。かと言って家族のためとエラソーな理由を振りまわした以上、水曜日に戻してとは言いにくい。日曜日に家族でイオンとか行きたくないよ。は平日行くもんや。散髪屋も混んでるから髪伸びてきて鬱陶しいよ。みんなが働いてるときにビィル呑む優越感カンバック
オランダもブルカ禁止へ、欧州3か国目読売新聞月日聖俗の分離が教義上なされていないから。まり、他の宗教と異なり聖職者や聖域、日本流で言うハレの生活部分と言ったものが存在しない。極端に言えば地上世界そのものが聖域であり俗域であるってこと。一見矛盾しているようだがこれはキリスト教にあるような人間の原罪の存在場所としての地上世界を認めていない地上世界は神が自ら創りたもうたものであるから穢れた世界である訳がないからであって、ムスリムがコーラン神の意思と言葉に従って生活することはごく自然なこと。そこら辺を理解しないと我々は永遠にイスラムを誤解する羽目になる。同時にイスラムは異教徒に対して自分たちの教義を押し付けるようなことはしない。キリスト教徒のように戦争に勝ったからといって改宗を強制するわけでもないし日米戦争後にアメリカが昭和天皇をキリスト教に改宗させようとした話は夙に有名である。これだけ見てもキリスト教が如何に独善的で性質の悪い宗教かよく解る、ジハード聖戦も己の信仰を異教徒からの押し付け或いは抑圧から守るための言わば名誉をかけた戦いのことであって、決してターリバンやアルカイダが仕掛けるような不名誉な無差別テロとは明らかに一線を画す。日本にも10万人ほどのムスリムがいると聞く。彼らはイスラムと言う信仰と生活の中で真っ当に日本社会に溶け込む努力をしている。我々は八百万の神を戴く民族として彼らの努力を認め、決して拒むことがあってはならないと考える。大事なことなのでもう一度。イスラムの教義は聖俗の区別が存在しないだからコーランとは宗教の聖典であると同時に生活の百科事典でもある。彼らはそれに従って生きているだけで何等異質なものではない、ってこと。考えて見りゃ聖書わしがこういう場合はユダヤ教の聖書キリスト教で言う旧約聖書の出エジプト記だってそういう性格が顕著なのにそこは誰も気にしないのな。一番異教徒にとって難解なのはコーランの描写がメッカ時代前期とメディナ時代後期で正反対なんだよね。前者は現世否定のペシミズム、後者は現世肯定のオプティミズム。おそらくこれが聖俗不分離の原因かと。あ、俺はイスラムの勉強はしているがムスリムにあらず。信仰心は持っているが特定の宗教にはしていないしすもりもないので了承されたし。
今日は久しぶりに会社の仲間で野球部の活動としてバッティングセンターへその後フットサル部の活動としてフットサルをしましたバッティングは克服するために練習あるのみフットサルは今回男のみでみんな遠慮なく楽しんでいるように見えました普段運動する機会のない人やコニュニケーションとれない部分もフットサルを通してクリアになったり気分転換になる機会になってくれてると嬉しいですね飲みもありですけど、スポーツして体力もいてより健康な身体を手に入れて爽やかな気持ちに素晴らしい事です続けていくことが大切だしみんなの為になると思えるので続けて行きたいと思います