矜持を取り戻す。

 横文字ほどインパクトはないが、染み込んでくる。どこか凜とし、背筋が伸びる。

 今季から明治大学の指揮をとる吉田義人監督は、その言葉に復活への思いを込めた。

 「アルティメットクラッシュ」を掲げた清宮・早稲田の復活劇は記憶に新しい。一気に学生最強の領域へと駆け上がった。

 「最強」。明治にとって、1990年代が、その時代だった。

 10年間で大学選手権で5度の優勝、3度の準優勝。戦績がすべてを物語る。

 激闘を繰り返してきた早明戦。ひたすら考え抜き、猛練習を積む早稲田。素質を伸ばし、幹を育てる明治。この好対照が、その価値を一段と押し上げてきた。

 67年間監督を務め、明治の礎を築いた北島忠治氏は色紙に残した。「前へ」。表現することは一つでも、明治たる由縁が刻まれている。

 知略というより、むしろ哲学。純粋さだけでなく、懐の深さもある。

 そこに常勝の遺伝子が埋め込まれた。91年、吉田氏が主将に就任し、勝利のための規律を明治に取り入れたという。

 いつしか、国立競技場のど真ん中で、頂点に立ったものだけができる儀式ができた。紫紺のジャージーの選手たちが円陣を組み、天にこぶしを突き上げる。90年代、その支配力は絶対だった。

 だが、時は止まらない。栄華は移ろう。

 2001年に清宮克幸氏が監督に就任すると、早稲田が復活を遂げた。2000年代は早稲田、関東学院の2強時代。明治が衰退を始めた。

 誰もがくるとわかって止められないサイド攻撃は影を潜めた。恐れなく全力で走り込んで当たる。「前へ」の体現だった。

 防御の向上だけで通用しなくなったわけでは、きっとない。「前へ」に徹しきれない迷い。誇りの喪失を感じずにはられなかった。北島監督の姿はもうスタンドになかった。

 低迷の闇に潜り続けた明治。復活の切り札として登場したのが、吉田氏だった。明治最強の時代が終焉してから、まもなく10年を迎えようとしていた。

 「走れない選手は使わない」。重戦車の記憶ばかりを追う者には、信じ難い言葉だ。

 春シーズンから結果が出た。吉田・明治は大学チーム相手に負け知らず。勝利を重ねた。

 その勢いを止めたのは、やはりライバル・早稲田だった。6月20日、レギュラーに次ぐ2本目の試合で早稲田が明治を大差で破ったのだ。

 そして、21日。ついに、この日がきた。1990年代の覇者・明治が真の復活を懸け、黄金期を謳歌する早稲田に挑んだ。紛れもなく、歴史が動く日。

 明治が開始早々にモールでトライ。前半を17対12のリードで折り返す。
 
 だが、後半は早稲田が流れを手繰り寄せる。さらに、昨季の優勝メンバー・スタンドオフ山中選手やフルバック田邊選手らを続々と投入。最後は、17対33で逆転勝ちを収めた。

 明治は敗れた。だが、「前へ」踏み出す誇りを失わない敗北だ。復活への一歩を確実に刻んだ。

 澄み切った空気の中での早明戦。せり上がった観客席がみっしりと埋まる。地鳴りのような声援が競技場の底からわきあがる。あの聖域は、きっと戻ってくる。

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