入学した中学校は超マンモス校でした。1学年500名*3学年ですから、全校で1500名叫び


田舎から出てきた私は、非常にこの都会的な雰囲気が気に入りました。

学校はマンションの7Fから降りれば直ぐ隣爆弾

校則も厳しくなく、服装も自由。当時当然学ランでしたが、流行のちょっと人とは違うものドクロを大須まで行って買ってきました音譜

隠しポケットや、裏ボタン、表ボタンも燻モノや透明のクリアモノなど・・・もちろん裏地も少し色の異なる垢抜けた学生服でした。靴下もカラーもの履いていました虹


当時のいわゆる不良連中も学校には多くて、トイレでタバコは日常茶飯事で見かけましたし、卒業生の悪たちもよくうるさい改造バイクで学校に集まってきていました。

ビーバップハイスクールが全盛時代だったと思いますアップ


一方で勉強にも熱心な環境で、クラスの8割は塾に通っていました。

私も夜21:00くらいまで塾に通っていました。


小学校での成績は本当に可もなく不可もなく。とりわけよくもないが悪くもない。得意な教科があるわけでもなく、好きな教科がるわけでもなく・・・あせる


そんな私ですが、中学最初の中間試験はだったと思いますが、成績は500人中100~120番目くらいだったと思います。

考え方としては今も同じだと思いますが、全体の10%に入るのがいわゆる優秀層と考えられていました。

ですので、最初はやはり可もなく、不可もなくでした。

でも野球の影響か?上昇志向もあり強く悔しい気持ちを感じていました。


そして、英語の先生と社会の先生に恵まれ可愛がられたこともあり、先生に認められたくてほんとうに熱心に勉強したの汚覚えています。

そして忘れもしない、1年の最終学期だったと思います。

これまでの人生で最大勉強したときがありました。

1週間でたしか60~70時間だったと思います目(表につけて進捗確認したので良く覚えていますビックリマーク


そのときの試験は、学年で10%に当たる50位以内に入ったのです合格

やればできるということを身をもって知ったのでしたクラッカー

この勉強のおかげで、勉強のポイントがわかり以後勉強でそれほど苦労しなくなりましたチョキ


自ら学ぶと言う点で大きく成長できたきっかけとなり、今思えばとてもいいことだったと思います・・・ニコニコ

(親から勉強しなさい!などほ言われることは1度もなかったと思いますグッド!。)