それは殆ど予期もしませんでした。

小学校6年生の2学期のおしまい頃でした。

頭の中では、もうすでに中学校のこと、そして今のメンバーでまた野球できるのか?など考えていたように思います。


親父の名古屋への転勤DASH!でした・・・叫び


この引越しはいろんな意味で今後の自分の人生に影響した引越しだったように思います。


まあ、親父としては、仙台営業所を軌道に乗せ名古屋ですから栄転だったのでしょう!今思えばですが・・・


しかし、おふくろは折角戻ったふるさとを離れることに大きなショックあせるを受けていたことを子供心にもよく覚えています。

最後仙台を去る車の中では本当に嗚咽に近い泣き方でショック!、見ている私も深く傷ついたのも鮮明に覚えています。

後に、両親は離婚しましたがその根元はこの転勤ではなかったと今でも思います。


私も、爺さんとの別れは辛かった・・・ガーン心の底から悲しいと思うことはこのときが最初だったのではないかと思います・・・しょぼん


そして、あと1学期で小学校をまた変わるということにも大きく戸惑っていました。

でもどの道中学校という新しい世界に飛び込むのだから、どのみち一緒なんだビックリマークと言い聞かせていたように思います・・・ガーン


結局小学校は3校いきました。そして、小学校の卒業アルバムはなかったと思います。


今思えば、親父からは「わるかったな」の一言も聞いたこともなかった・・・

きっと当然のことのように思っていたのだと思うと、わが子を持った今強いやるせない気持ちになりますプンプン



とはいえ、この名古屋への転勤は今振り返れば自分の人生にはプラスに働きました。

そして今こうして、愛知に住んでいることとは無縁ではなく、この地には運命的なものを感じているのも事実です。もはや、第2のふるさとは愛知かもしれません・・・得意げ