自分の決定に自信を持とう
自分で家族を守ろう
と、自分を信じて、
周りの人たちが休ませない中、
我が家だけ自主休園をはじめました。

でも、正直、
人と違うことをするのは、
心細いものでした。
自信を持って決定したことでも、
「わたしって、神経質なのかな」
とか
「変な親、大げさ、って思われるかな」
とか、
そんな考えがちらつきます。
「そんなことないよ。
あなたの考えが正しいんだよ」
そう言ってほしくて、
そう言ってもらえたら、心が軽くなるような気がして、
昨日旦那に
心細く思っていることを言いました。
「昨日も入園式だったけど、
誰も休まなかったらしい。
うちだけ休んだ。
わたしは間違ってない、って思うけど、
でも、あまりにも心配性なのかな。。。」
と。
すると旦那が、
「一人ぐらい、
心配性の人がいてもいいんだよ」
と言いました。
わたしは、
「あなたは心配性じゃない。
あなたがやっていることは正しい」
って言ってくれることを期待したけれど
旦那のその言葉が、
なんだか心にストンと落ちて
そうか。
正しい とか 間違っている とか
そういうことはどうでもいいんだ。
わたしがたとえ、人から見て
心配性
なのだとしても、
それは、全然悪いことじゃないし、
そんな人が園ママに一人ぐらいいたって
別にいいじゃない、と。
「わたし」という人間を
まるごと認めてくれたような気がして
大きな安心感に包まれました![]()
こうやって、混沌としている状況の中にいると特に、
なにが正しいか
なにが適切か
と考えがちになってしまいます。
大げさ?
神経質?
心配性?
大げさ→だから→よくない
神経質→だから→よくない
心配性→だから→よくない
と、
自分や相手の状態を
「よい」や「よくない」
「正しい」や「間違ってる」
と評価してしまいがちだけれど、
「大げさである」
「神経質である」
「心配性である」
と、
その状態をただの「状態」として
「事実」だけを受け止め
それはそれでよし!!
そんな人が一人ぐらいいてもよし!!!
と考えられるように
わたしも旦那を見習いたい、と思ったのでした。

そして、その考え方は、
子どもに対しても、
対人関係においても、
愛を持ってかかわりあえる手がかりになるだろうな、
と思うのです。
こんなときだから。
不安が心を支配しそうなときだからこそ
相手に愛を伝えられたらいいな、と思います。
そして、夕方、園から
休園の連絡がありました。
よかった。ちょっとホッとしました。
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