わたしが
特別支援学校の教員だった
ということを言うと、
あなたって、誰かを助けたい人なのね
って、
自分の本意ではない解釈をされることが
最近よくあります。
わたしは、
誰かを助けたくて
この仕事を選んだのだろうか?
そんなこと、
考えたこともなかった。
潜在意識のなかには
実はそういう思いがあったりするのかな?
と、最近
自分と対話をしていました。
でも、
やっぱり、
誰かを助けたい
という、マザーテレサのような
大きな慈愛を持って
この仕事を選んだわけではありませんでした。
助けたい、って、
なんか、わたしごときが言ったら
おこがましいような気がするし。
では、
わたしはどんな気持ちで
仕事と向き合っていたのだろう。
それは、
たぶん、
楽しみのためでした。
これもまた語弊がありそうだけど。
まず、特別支援学校の教員を選んだのは、
自分の弟に障害があり、
特別支援が自分にとってあまりにも身近だったからです。
そして、特別支援学校という場は、
通常の学校とは
違うことを教えることができるんじゃないか、
という期待はありました。
実際にやってみると、
教科書がない、マニュアルがないからこその
難しさとともに、
いくらでも工夫できることの面白さもありました。
そして、目の前の子どもたちの
かわいいこと!!!!
スポンジのように、
いろんなことを吸収する部分があるかと思えば、
頑なな部分があったりして、
そこにアプローチしていくうちに
打ち解けていくと、
お互いを信頼するってこういうことなのだな、
という絆を、気付かせてくれることも
たくさんありました。
特別支援って、
なにかができない子に、教員が手助けすることで
できるようにしてあげる
と考える人が結構いるんじゃないかな、
と
最近、わたしのことを
助けてあげたい人なのね
と言う人たちと接していて思います。
でも、特別支援は、
本来はそういうものではない、と
わたしは思っています。
わたしが考える特別支援。
それは、
自分の人生を豊かにする方法を
たくさん見つけるための支援
をすることだと思っています。
具体的に、どういうことか、といいますと。
たとえば、
特別支援学校には
通常の学校とは違うカリキュラムがあります。
自立活動
生活単元学習
日常生活の指導、
などなど。
通常であれば
あまり聞かない言葉です。
日常生活の指導では、
着替え、排泄、手洗い、などを
その子の課題にあわせて
丁寧に見守り支援します。
たしかに、
上手に着替えること、ボタンをとめられること、
服を畳むこと、女の子なら生理時のナプキンの取り替え方、など、
本当に細かいところまで
保護者と連携しながら自立に向けて
支援をしていきます。
でも、これだけじゃないんです。
生活を、より豊かにするために、
わたしたちがやることは、
まず、毎朝
自分の着る服を選ぶことの楽しさを伝えること。
ここからです。
わたしは、これが究極の
特別支援なのではないかな、と思い、
子どもたちの前でこの話題を出すのが好きでした。
ボタンをとめる。
服をたたむ。
それはもちろん必要なこと。
できてほしいこと。
でもね、
あなたたちが、毎日を楽しい!って思えることは
そこらじゅうに散らばっている。
自分が着る服を、自分で選ぶこと。
色を組み合わせて、
季節を感じて。
おしゃれをする日もある。
今日は活動をするからちょっとスポーティーに。
そういうことを、
できるだけ小さいときから
楽しんで欲しい。
洋服の着方を覚えるのも大事。
でも、生活をもっと、
自分の手で豊かにしていこう。
こんなこと、きっと
通常の学校では教えません。
でも、あえて、わたしたちは
特別支援学校に通う子たちに
伝えていました。
こんなことが特別支援?と思いますよね。
もちろん、
自分の服を自分で選ぶ、なんて
通常の学校でも伝えたらいいことです。
でも、
特別支援学校に通う子たちのなかには、
朝、親が服を選んでくれるお宅が
多くあります。
それが、当たり前になっているからです。
普通ならスポットが当たらないところに、
生活の楽しみが実はあるのだ、ということを
いつか自立する彼らを想像しながら
ちょちょっと勧めてみる。
こんなのは
支援
には入らないようなことですが、
それを、
伝えるか 伝えないか は
大きな違いだろう、と
わたしたちは、
少なくともわたしは信じてやってきました。
わたしが伝えてきた
生活を豊かにする特別支援、
またいろいろ書いていけたらと思います。

