It is no use crying

over spilt milk.


大学受験の勉強で、

Grammar(英文法)の教科書を

全ページ丸暗記した時に

覚えたことわざ。


直訳すると、

「こぼれた牛乳を嘆くのは無駄だ。」


だけど無常にも

教科書にはこう書いてあった。


「覆水、盆に返らず。」


牛乳、どこ行った?!


かなりの意訳に当時は

マジかガーンと驚き、

ひたすら丸暗記したという

懐かしい記憶。


この諺の日本語の意味を調べると、


「一度離婚した夫婦

元に戻ることはできない」、、、びっくり


転じて

「一度起きてしまったことは

二度と元には戻らない」


水よ、どこに行った?笑い泣き

と思ったのは言うまでもない。



このところ。


読んでいる本から

思いを巡らせていたことは、


「世界の二極化」について。


世界は相反する

2つのコトから出来ていて。


例えば、


意識と対象


主体と客体


陰と陽


光と闇


破壊と再生


などなど。


その2つは

決して混じり合うことなく

1つの世界に存在する。



光と闇でいうならば、


闇があるから

光は輝いて見えるのであり、

すべてが光だとしたら

もはやそれは光ではない。


光があるから

闇はより深く感じられるのであり、

すべてが闇ならば

光は存在すらしない。


相手がいるから

自分が見える。

自分があるから

相手との違いに気づく。


映るものは違えど、

同じ鏡を見ている。


そんな感じだろうか?


鏡に映るモノを見て、

アレはよい、コレはダメ。

と考えたところで、

どうにもならない。

アレにもダメなところはあるし、

コレにだってよいところはある。


そもそも、どんなに願っても

アレはコレにはなれない。


光と闇は

対であるからこそ

お互いの存在価値があるのだ。



よね?



蛇が尻尾を噛んで

ニ極性の端と端が結びつくと

その後は改めてまた

二極化へ戻る。


なぜなら


ひとつになると

そこで意識と物資は消え去るが

そもそも無に帰すのが

目的ではなく。


この体験を通じて

、、、

新しい世界に入ることが目的

であるのだろう。


「人間は宇宙船だ」村松潔

より一部引用。


この、小難しい文章が

ぐるぐると頭を巡っている。



It is no use crying

over spilt milk. 


こぼれた牛乳を嘆くのは無駄だ。

覆水、盆に返らず。

一度起きてしまったことは
二度と元には戻らない。



こぼしてしまったものは、

時間を巻き戻さない限り

元には戻らないから。


こぼしたことを嘆いたところで

どうにもならない。


でも、どうだろう?


こぼしたテーブルを

綺麗に拭いて、

新たにこぼさないように

気をつけて注いでみたら?


以前とまったく同じモノを

求めるならば、

それは違うのだろうけれど。


またコップを満たすことは

出来るんじゃない?



二極化の先にあるモノは

今までと違う新しい世界。


ならば。


覆水、盆に返らずとも

そう悪くはない。


そして。


答えが見つからなくとも

そう悪くはない。


新しい世界で

今と違うやり方をまた

一緒に考えればよいのだから。