昔の文豪は、大変に不幸な生い立ちの方々も少なくないということが分かってきたびっくり

 

少し前に、昔の文豪の方々について、現代の精神科医が病理について解説している本を読んだ。そのような本が、いくつか出ているらしい。また、現代のちょっと偉い臨床心理士の人でも、昔の映画の名作について、「この主人公は精神障害である。」と言っていたりする。

 

少し話がそれたので、話を元に戻す。

 

昔の文豪は、大変に不幸な生い立ち故、独特な視点を持ち合わせていて、その鋭い感受性によって書き上げられた名著が沢山あるようである。

 

けれども、であるならば、現代の作家が昔の文豪のような生涯を歩もうとするのには、多分に限界があるように思われる。

 

なぜならば、そんなにも苦しんでいる場合には、まずは精神科又は心療内科の受診を周りは勧めるだろう。よほどのことでもない限り、本人も、改善あるいはより幸せな人生を求めて、通院するだろう。

 

もっと言えば、昔は、大変に不幸な生い立ちであっても、野放しにされていたりしたということである。

 

現代では、医療の進歩により、その治療対象が広がっている。故に、現代の作家は、昔の文豪に憧れ、敬愛こそすれ、また別の、独自の生涯を歩んでいく必要があるのではないだろうか。

 

普通に平々凡々と幸せに育った人が、多分に不幸な生い立ちの文豪のような生涯を目指しても、その不幸の度合いは極めて浅く、水際でじゃぶじゃぶ遊んでいる程度の視点しか得られず、決して大海を知っている文豪のようにはなれないのではあるまいか。

 

賢明な人たちであれば、このようなことにはとっくに気が付いているであろう。私がここで敢えて書くまでもない。けれども、どこか浅い見解のこともあるようなので、二番煎じではあるが、少しばかり、ここで一石を投じたい。