たかがアメリカ,されどアメリカ
よくアメリカは自由の国と言われる。確かに若い国だし、新しいことに対して抵抗なく受け入れる土壌を感じる。こちらに来る前はアメリカの個人主義、資本主義,帝国主義の嫌な部分ばかり感じていた。
若い時に感じていた音楽、映画、ライフスタイルに対しての憧れはいつの間にか壊れ反感の方が大きくなっていた。アメリカに来たときもどこか警戒感の方が大きく身構えていたところもあった。
でもこうして4年住んでみると、なかなか魅力的な国でもある。
第一に少々行き過ぎたところもあるが、まず自由がある。人に迷惑をかけない限り、何をしても人から何も言われないし、後ろ指さされるという事もあまりない。みんな好きなことをやっていて、それを認め合っている。
年甲斐もなくとか、ーーのくせに、とか言う固定観点が薄い気がする。誰でも自己実現、自分の幸せのために自分で努力する。だから解りやすいし、変な所であまり力をとられない。人は人、というのが個人主義のもとしっかり確立している。人と違う事が自己アピールの一つでそこに力を入れる。個人主義という事は、自己責任という事でもある。あまり手かせ足かせがない分、結果は自分でとるし、あまり人やまわりに依存もしない。そういう意味では自立していてある意味、粋でもある。かっこいいなとも思う。
相手に対していい意味でも悪い意味でも執着もないし、こだわらない。だから何ああってもあっさりしている気がする。つまりあまり深く詮索したり立ち入ったりしないから、どこかで他人には線を引いている。だから人目を気にして,まわりと同じようにするというような事がないので、個性が見えてきやすいという点ではわかりやすい。
また何でもはっきり包み隠さず話すので付き合いやすい反面、きっちりと境界線を引いているので仲良くなってもべたべたとする事は少ない。インデペンデントである事を大事にしているので甘えがあまりないし、自己主張をきちんと出来るように幼少から鍛えられているので、そういう意味では個性的でもあり大人でもある。この基本的な所が理解出来てくるとカルチャーの違いからくるがギャップを埋めていく事ができる。
アメリカの資本主義、政治、いわゆるコーポレーションと言われる大企業は利益が最善であり、手段を選ばないところがある。でも個人レベルになるとフレンドリーでオープンでユーモアが大好きな人たちでもある。
この間こちらの温泉に行った。ニューエイジ系の人たちがくる所だったらしく想像していたよりもはるかに自由でショッキングでもあった。老若男女問わず一糸まとわぬ姿で恥じらう事なく堂々としている。私のように水着を着た人の方が少数派である。最初はめがかなり丸くなってしまって、大変なところにきてしまったような気がしていたが、だんだん目が慣れてくるといやらしいという事もなく、まるで美術の人体デッサンのクラスに居るように美しい人間の裸を純粋に愛でているところもある。隠すからいやらしい、というのも解るような気がする。
大自然の中の桃源郷のような所だったが、温泉でメディテーションをしたりヨガをやったり、みんななんだか修行しているような雰囲気で真剣にお風呂にはいっているのである。もちろんサイレンスというサインがあるように、音楽も話し声もなくただ静かに時を過ごしている。ゲイらしいカップルや、タトゥーをいれた人も多くまさにフリーピープルである。
やりたい事を人目をあまり気にせずやる所、アメリカの幅の広さを感じた。
それでもどんな場合にでも相手をできるだけ表面的にでも尊重し、声を掛け合う親切さもある。
いろんなアメリカがある。
そして今回多くのアメリカの友人が今の日本の状況を心から心配し声をかけてきてくれる。
以外に捨てたものじゃないと思う事もしばしばある。
自由の国、新しい国アメリカ。自分らしく生きる事が許される国。
たかがアメリカ、されどアメリカ、なのである。
若い時に感じていた音楽、映画、ライフスタイルに対しての憧れはいつの間にか壊れ反感の方が大きくなっていた。アメリカに来たときもどこか警戒感の方が大きく身構えていたところもあった。
でもこうして4年住んでみると、なかなか魅力的な国でもある。
第一に少々行き過ぎたところもあるが、まず自由がある。人に迷惑をかけない限り、何をしても人から何も言われないし、後ろ指さされるという事もあまりない。みんな好きなことをやっていて、それを認め合っている。
年甲斐もなくとか、ーーのくせに、とか言う固定観点が薄い気がする。誰でも自己実現、自分の幸せのために自分で努力する。だから解りやすいし、変な所であまり力をとられない。人は人、というのが個人主義のもとしっかり確立している。人と違う事が自己アピールの一つでそこに力を入れる。個人主義という事は、自己責任という事でもある。あまり手かせ足かせがない分、結果は自分でとるし、あまり人やまわりに依存もしない。そういう意味では自立していてある意味、粋でもある。かっこいいなとも思う。
相手に対していい意味でも悪い意味でも執着もないし、こだわらない。だから何ああってもあっさりしている気がする。つまりあまり深く詮索したり立ち入ったりしないから、どこかで他人には線を引いている。だから人目を気にして,まわりと同じようにするというような事がないので、個性が見えてきやすいという点ではわかりやすい。
また何でもはっきり包み隠さず話すので付き合いやすい反面、きっちりと境界線を引いているので仲良くなってもべたべたとする事は少ない。インデペンデントである事を大事にしているので甘えがあまりないし、自己主張をきちんと出来るように幼少から鍛えられているので、そういう意味では個性的でもあり大人でもある。この基本的な所が理解出来てくるとカルチャーの違いからくるがギャップを埋めていく事ができる。
アメリカの資本主義、政治、いわゆるコーポレーションと言われる大企業は利益が最善であり、手段を選ばないところがある。でも個人レベルになるとフレンドリーでオープンでユーモアが大好きな人たちでもある。
この間こちらの温泉に行った。ニューエイジ系の人たちがくる所だったらしく想像していたよりもはるかに自由でショッキングでもあった。老若男女問わず一糸まとわぬ姿で恥じらう事なく堂々としている。私のように水着を着た人の方が少数派である。最初はめがかなり丸くなってしまって、大変なところにきてしまったような気がしていたが、だんだん目が慣れてくるといやらしいという事もなく、まるで美術の人体デッサンのクラスに居るように美しい人間の裸を純粋に愛でているところもある。隠すからいやらしい、というのも解るような気がする。
大自然の中の桃源郷のような所だったが、温泉でメディテーションをしたりヨガをやったり、みんななんだか修行しているような雰囲気で真剣にお風呂にはいっているのである。もちろんサイレンスというサインがあるように、音楽も話し声もなくただ静かに時を過ごしている。ゲイらしいカップルや、タトゥーをいれた人も多くまさにフリーピープルである。
やりたい事を人目をあまり気にせずやる所、アメリカの幅の広さを感じた。
それでもどんな場合にでも相手をできるだけ表面的にでも尊重し、声を掛け合う親切さもある。
いろんなアメリカがある。
そして今回多くのアメリカの友人が今の日本の状況を心から心配し声をかけてきてくれる。
以外に捨てたものじゃないと思う事もしばしばある。
自由の国、新しい国アメリカ。自分らしく生きる事が許される国。
たかがアメリカ、されどアメリカ、なのである。
愛について〜恋をするということ
愛するって、恋をするって何だろうって考えると表現するのは大変です。
いろんな形があり、強い力で魂の根源を揺さぶる力を秘めていますから。
あの凄まじい力を経験すると、何か人間にとって一番必要で大事なもの一つなのかもしれません。
自分の中で何が一体起きているのでしょうね。
自分が誰かに強く惹かれたり、憧れたり、その人の事を思ったりするのは
かなり非日常的な世界に人を連れ去っていきますよね。
時にはアンコントロールな状況に陥ったりといつもと違う所に立たされてしまいます。
幸せの極地を味わったかと思うと、見えないものに対しての不安のどん底に陥ったり、
その両極にいくことがあり得たりします。
そんな至福の瞬間を楽しんだり、疲れ果てたり...自分をぎりぎりまでさらして大冒険しているような感覚です。
恋をするって、なんだか足が地面から30cm位浮いて浮遊してるみたいな不思議な感覚です。
そして寝ても覚めてもどこかにそのことが頭にあります。
全くいつもの自分から考えたら異常な事です。今まで普通に暮らせていたのが大きく変わってしまうのです。一体、どんな力が働いているのか考えてみました。
恋をする時、無意識に二つの大きな力が働いていると言われています。
一つは自己愛。
もう一つは性欲。
どちらも自分の内からの根源的な欲望がミラーリングしているんですね。
相手の事が好きだ、とか一緒にいたいとかいうのは、最初はこの欲望と結びついている事を知っておかなければいけないと思います。
それが解らないとかなり危険な状況におかされますから。
この感情と欲望の嵐の中で自分を見うしなって、恋煩いが死に至る病になる事だってあり得るでしょう。寂しさから恋愛中毒のようになって次から次に簡単に相手を求めてしまう人もいるでしょう。
恋は盲目と言いますし、最も傷つきやすくなっている状態だとも言えます。
でも冷静になってこの苦しさは自分の欲望からきている物が大きいだとわかると、ちょっと楽になります。相手によって、好きになる事によって、苦しいのではなく自分が作り出している妄想がそうしているという事を。
もちろん自己愛、性欲を否定する訳ではありません。これは人類のサバイバルのための根源的欲求の一つでしょうから。だからものすごいパワーなのでしょうけど。
恋は甘い花である。 しかし、それをつむには おそろしい断崖のはしまで 行く勇気がなければならない。
(スタンダール、恋愛論)
仏陀の教えに愛についての部分があります。
(1)【愛】→自分や親、兄弟などに対する愛情=要は「自己愛」です。
(2)【親愛】→友達に対する「友情」です。
(3)【欲楽】→特定の異性に対する愛情、すなわち「恋愛」です。
(4)【愛欲】→性的な愛。性欲。「性愛」です。
(5)【渇愛】→愛が進行して「病的」になった状態です。
これらの5つの愛は自己愛の段階だそうです。
そしてこの渇愛にいたり激しく苦しみます。
人は自己愛が発展した延長線上の『愛』を体験しながらこの世を生き、それによって深い苦悩も生じるでしょう。そして自分が悩み苦しんだ時に始めてまわりの苦悩に共感、共鳴出来るようになるのです。苦悩するすべての人をいつくしみ、深い共感、友情を持つ時に私たちは次の段階
6番目の【慈悲】という高みにたどり着くことができます。
同じく中世の騎士道にも同じようなことがあります。
Attachment is forbidden. Possesion is forbidden.
Compassion, which I would define as unconditional love is central to a Jedi's life.
口で言うのは簡単なのですがこの段階まで自分を昇華させていくのは修行のようなものなのかもしれません。一生かかって学ぶ事なのかもしれません。
でもこれは人間としての成長、精神性を持つためには大切なプロセスだと思います。
だから繰り返し学ぶ必要があるのかも知れません。
もう一つ最近読んだ本からの愛にちなんだ紹介をしたいと思います。大体の抜粋の意訳です。
"TAPESTRIES~Weaving life‘s jorney" /BETTY STANLEY
Rollo May defines love as delight in the presence of the other person, and affirming of her value and development as much as one's own.
愛は相手の存在の中に喜びを見つけ、最大限相手の価値と成長を肯定する事である。
またドイツの神秘主義哲学者であるシュタイナーも愛を定義からではく精神的な心象の世界から感じるようにしなければいけないといっています。そして愛を相手に与える事によってさらに自分が満たされていくということを言っています。
古代ギリシアの時代にも愛とはsympathy より深いempathy(feel into)として定義されています。
if people felt true empathy with the character in the tragedy then they would experience catharsis.(人々がギリシア悲劇の中の人物に共感する時に,同時にカタルシス(精神浄化作用)を経験する)
愛は人間としての成熟の過程に必要なものであり、相手に対しての謙虚さと共感を持ちつつ向き合う事が大事だということ。そしてその相手の中に高い精神性を魂の存在を認め、二つの別々の存在だったものが一つになることを探求にこそ価値がある。そういう意味で結婚とは自分の高い自我(精神存在)や、全てを超えた神なる世界との関係を探し求める機会となる。神話やおとぎ話にでてくる結婚はこの高い自己との融合を暗喩していると言われています。
現代社会では人はより物質的なものに囲まれ、物質によって愛を得られるかのごとくいろんなメディアからの影響力を受けています。肉体的な親密さは物質的な近さであるだけで、空しさを埋めるものでもありません。私たちが新しい関係に最初は情熱を感じても、いつか色あせるときがやってくるのです。
本当の愛は消費活動とは同じではなくそんなに簡単には手には入りません。
もっとゆっくりと、距離を持ちながら熟成していくものなのです。
口で言うのは簡単ですが行うのは難しい事です。
聖書(コリント人からの手紙)でパウロは『愛は忍耐であり、親切である。』と説いています。
私たちはいつも自分の中で相手に対し、忍耐とは何か、親切とは何か問い続ける必要があります。
このように愛から学ぶ時に、自分自身と人生の意味についてもっと深く知り、私たちを成長変容させていくことができるのです。
以上が本からの抜き書きです。
私たちは肉欲的な愛をもっと精神的な愛にまで高めていく必要があるのですね。
無償の愛、慈愛、共感が私たちのいつも人生の中心にあってほしいですね。
いつもそこに戻ろうとする自分を忘れないでいたいですね。
PLELUDE
はじめまして。
縁あってアメリカ生活を送りはじめて、今年で4年目になります。
この間での道のりも、今まで過ごしてきた人生とは違う文化と環境で
それなりにいろんなことをくぐり抜けてここまできたな....という感慨があります。
身の回りで起こる様々な出来事、出会いを通して私がどう変わっていくか
ここで書き留めていけたらいいと願っています。
通り過ぎていく日常は2度と戻ってこない瞬間で
いろいろな色を帯びながら私たちも包んでいきます。
そこで私たちは呼吸し、触れ合いながら前に進んでいくのです。
この度の中から大事な事を拾い集めながら、そして時には別れを告げながら...
この場で自分と向き合いながら、時には馬鹿な自分を笑い、時には深い感動の響きを感じ、
自らを力づけながら自分のゴールに向かって旅を続けたいと思います。


