平日の親の会に出席しました。何とか就けた仕事でしたが、半年で退職して、平日を楽しんでいます。

 

退職した理由は、経営者の息子(40代半ば無職。株主だが従業員ではない)に、平社員である私の仕事の進め方を執拗に、理不尽に責められてうんざりしたから。


「うちの息子の思考・行動パターンと似てるよなぁ」と思っていた「いわゆる変な人」でした。社会的自立ができていないからもう「障害」と言えるであろう特性について、親も本人も「ある意味ビョーキ」だと認めず(こんな頭の良い俺を使えない企業が悪いとすぐに辞める)、親は子に接する技術を知らず(すぐ口論になる)、親子関係を適切に築かない(父親の経営方針や手法を従業員が出席する会議で大声で罵倒→二度と来るな、を繰り返す父子関係)とこんな人間になるのかもと実感する機会、息子の症状を少しでも緩和するべく私は日々努力しようと改めて思う機会になりました。その努力の源は、私の場合、親の会への参加です。

 

この日の親の会には、初参加のお母さんが数名。不登校が始まって半年から1年くらい、そして受験前という、一番つらいであろう時期の方は、自己紹介の時に涙を流されていました。私は、自分のしんどさが思い出されてもらい泣きしました……

 

思い返せば、2年前の退職時は子どもの不登校が一番辛くてしんどい時期(不登校2年目の中3秋)で、私は鬱状態だったようです。4カ月くらい記憶がありません。親の会の開催日を頼りに時間をなんとなく過ごしていたように思います。

 

今回の退職では心身元気な証拠に、急いで情報収集・企画・調整・手配し、マイレージを使って息子(彼が通う通信制高校は9月も夏休み)と2週間の旅行へ行きました。予定を立てて行動するって、気力と手間が必要なので、心身が元気でないとできないと思います。

 

旅行について。いつもの通り、当日になるまで息子が行くのか行かないのかわかりませんでしたし、旅行中は「一日外出したら翌日は出かけない」の繰り返しでした。私は「仕方ない」と諦められて、昔ほどはイライラしませんでした。


彼は最初の数日は「来なきゃよかった、モーハンやりたい」と不平不満を言っておりましたが、私は「そうだよねー、発売されたばかりだからやりたいよねー。よく旅行に来たと思っているのよ」と言ったら長引きませんでした。


旅の後半には「楽しかった、来て良かった、また来たい」と言ったので、いろいろな面で私も彼も成長したなぁと感慨深かったです。不登校になって一年間くらい、親の会で学ぶまで、私はいずれ彼に刺殺されるだろうと思っていましたから、それから考えると、一緒に平穏に旅行ができるなんてすごい変化です。

 

でもまぁ、帰宅してからまた、やるせない気持ちになりました。と言うのも、GWから旅行前までは一日ニ時間くらい勉強するようになっていたのに、旅から帰ってきたら、塾をキャンセルしてまで昼夜逆転気味でゲームしかしないので。私は「せっかくの勉強リズムを壊した、一緒に行ったのは失敗だった」とがっかりしてイライラしました。「勉強したら」と言いそうになりましたが、夫と「言っても無駄だよね」と話し合い、どちらかがつい言いかけたら、肘つつきとテーブル下の足蹴りと目で合図しながらやり過ごしました。

 

幸いにも、帰宅して一週間後の新学期初登校日以降、彼は「いつもの不平不満」を言わず登校。そして二週間後に塾行きを再開しました。ほっとしています。

 

もっとも、客観的にみると、全体量から計算してもっと計画的に勉強したらよいのに、勉強量を増やさないと受験に間に合わない、など言いたいことはいろいろありますが、夫と二人で「何かをさせることはできないビョーキ。提案・命令は無駄」と慰め合いながら過ごしています。

 

親の会では、上記の毒を吐かせて頂いて、気持ちが少しすっきりしました。

 

息子を見ているとしょっちゅう、やるせない気持ちになったり、うんざりしたり、不安になったりします。毒を吐かせて頂いて、「質の良い諦め」の境地を維持するために、また、息子と適切に関わる技術を復習し上達させるために、働いていない間は、親の会やひきこもりに関する講演会にこまめに参加しようと思います。