ある昼下がりの金曜日。


手首の手術をしてまいりました。

手首の中に入っていたプレートを

抜いてきたのです。


プレートとねじ七本。


取り出したプレートはこちら。


案外厚みがあり、ねじは長い。

一番長いねじは二センチもある


見せていただいてびっくりしました。





これ。


滅菌してくださって

お買い上げいただいたあせるプレートですからと

丁寧に病室まで持ってきてくださった。



↓この状態のボキボキを






プレートで↓こんな風にしてくださった。






ちょっと骨が治ってきてからの写真ですが

↑こうまっすにして、崩れた骨をもとに作り直してくださり


くの字に曲がって、後ろに落っこちて

骨片に紛れてしまった掌の骨と

ぐずぐずの状態の骨を横から見ると

こんなかんじ↓



で、それを↓こんな風に

正してくださった。







すごい


手になった。


プレートを入れていないほうの骨も

折れていますが未処置です。


まだ折れたままで、骨片飛んでますが

このままだそうです


みなさん。


骨折。注意ですよ。


プレートを抜くと

傷がまた大きくなります。


いやよね。


同じ理由で骨折二回目


三回目は身内だろうと訴えます


が、二度とかかわることはないと思います。

でも、なぜか恨みも興味もありません。


ただ、義務だけは感じるので

時々、様子は見るようにしていますが

洗濯ものも干してあるし

元気なんじゃないでしょうか。


プレートを外して心が軽くなりました。


こうなってくると

所詮、恨みもつらみも

プレート程度の重みでしかありません。


痛みと悲しみは深いけれど

それでも、背負っていくわけです。


人生に起きる出来事に


なぜ?


と、問うても答えなどありません。


ちょん切ってリセットなんかできません。

続いて続いて、上がったり下がったり。


下せるものは下せばいいけれど


苦しい気持ちはなくならないけれど


いくら、なぜ?と問うても

答えなんかないんです。


自分の体を切り開いで中側から

全部洗い流してしまいたいような苦しみが

存在していても


そんなことしなくても

私たちは毎日生まれ変わっている。


心を強く持つ必要なんかありません。


でも、泣きながらでも笑うと決めたら

そのうち上手にできるようになります。


理由はただ一つ。


決めたから


です。


鼻水と涙でぐちゃぐちゃの笑顔

とってもきれいだと思う。


それでもつらくて

親友たちに迷惑もかけると思う。

べろんべろんに酔っぱらうこともあると思う。


でも


決める


とは、そういうことだ。


決めたらちゃんと上手になるよアップ

大丈夫。


今回の全身麻酔

三回目ですが、かなり怖かったです。


呼吸ができなくなっていき

とても苦しかったので

点滴がつながれている手を動かして

マスクを払いたくなったのですが

手が動かない。

焦って声を出そうとしたら声も出ない


数秒のことなのだと思うのですが

パニックになりそうでした。


こんなこと感じたのは初めてです。


でも、心のおまじないを思い出して

そのほんの僅かだろう時間に

唱えて想いました。


落ち着きました。


涙が出そうでした。


ある意味、静かに天に召される時、

体や脳は、そんな風に停止していくのだと感じた。


会いたい人がそばにいて

その時を迎えられたら

とても幸せだろうなと思った。


変なことを言うが


愛している


と思って死んでいきたい。


そう思った。


でも、弱い私は

手術明けのその晩、朦朧とした意識の中で

ちょっと終わりにしたくなっていた。


なんとなく、麻酔の余韻も残っているのか

その夜、私は呼吸を上手にしていなかったようで

何度も看護師さんに


息して!息して!!

もっと、深く、もっともっと。


と、たたき起こされ、酸素マスクを

装着されまくっていた。


そう。

血中酸素のチェックされているから

簡単には終われないのさ。


現実は厳しいのだにひひ


皆様の今日が良き日でありますように。