本家は越えられていないと思う。
2026年2月14日(土)14:00~
NHKホール
ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲(コダーイ)
トランペット協奏曲 ホ長調(フンメル)
組曲「展覧会の絵」(ムソルグスキー/近衛秀麿編)
指揮:ゲルゲイ・マダラシュ
管弦楽:NHK交響楽団
トランペット:菊本和昭(N響首席トランペット奏者)
このムソルグスキーの《展覧会の絵》については、
いくつもの編曲版が存在するが、
なぜラヴェル編曲が選ばれるのか、
という疑問がある。
生成AIに聞いたところ、
「ラヴェル編曲は1922年の初演以降、
世界中で演奏・録音され、作品としての
“標準版”になっている」
という回答が返ってきた。
しかし、それは循環説明ではないかと指摘し、
さらに突っ込んでみた。
なぜ選ばれるのかを聞いているのに、
「選ばれているから選ばれている」では、
定着する過程での理由が説明されていない。
もっとも、最近では深く考えずにラヴェル版を
選択している楽団や指揮者もいるのかもしれないが。
まず、ラヴェルがこの作品を引き受けた理由に
ヒントが無いか調べてみる。
きっかけはパリでクーセヴィツキーという人物が
(この後ボストンに行くのだったか?)
ラヴェルに編曲を依頼している。
ラヴェル自身がロシア音楽に高い関心を
持っていたことも理由だろうが、
高い報酬が提示されたことも事実のようだ。
絶対に嫌なら断っただろうが、
作曲家というのは職業なのだから、
カネはカネで引き受ける理由になる、というのも
無理からぬ話だ。
では、なぜ数ある作品の中から
《展覧会の絵》だったのか。
初心者のボクなりに考えてみると、
まず、何度も現れる「プロムナード」が分かりやすく、
覚えやすい。
次に、オーケストラ編曲を行う際、
「ここがこうなるのか?」という変化の振れ幅が
大きいほど、面白さが増すように思える。
そう考えると、
単音で始まるプロムナードは、
同じ音の高さでも楽器を変えることで、
まったく異なって聴こえる。
その変化自体が、いかにも編曲向きの作品だ。
また、その後に出てくる
がちゃがちゃ、どっかんとした部分についても、
構造上、ピアノは打楽器的であるとはいえ、
オーケストラの重厚さや多様性にはかなわない。
ピアノの鍵盤の音域を超えた音をカバーできる点も、
単に演奏者数が増える以上の大きなメリットだろう。
ピアノ曲によくある右手の旋律、左手の和音を
オーケストラに置き換えていくことに比べて
「へー」「ほー」と感心する場面が多いように感じる。
直感的にはそう思っていたところ、
ある大学関係の論文に、次のような記述を見つけた。
「原曲が、管弦楽による演奏を予感させる要素を
充分に含んでいることである。
第1プロムナード冒頭の単旋律と和音の呼応は、
・・・管弦楽が得意とする音響効果を備えており、
同様の例が随所に見られる。
また、厚く重ねられた和音が多用されている点も
重要で、様々な音域と音色が混在する“巨大な楽器”
としての管弦楽による重厚な響きが期待できる。」
アカデミックに言えば、こういう説明になるのだろう。
さて、本日の近衛秀麿編はどうだったか。
冒頭が弦から始まり、期待は持たせるものの、
~最後は確かに盛り上がったとはいえ~
ラヴェルの「いいとこ取り」で手を入れた結果としては、
どこか流れや楽器の適材適所が弱く感じられた。
やはり、管弦楽の構成力では、
ラヴェルの方が一枚上だったように思う。
改訂の趣旨であったはずの「ロシア回帰」も、
正直なところ、あまり感じられなかった。
ラヴェル版の良さをあらためて実感する意味でも、
ストコフスキー編曲あたりを、
どこかで取り上げてくれないものだろうか。


