組織で働くことが苦手
専業主婦も苦手
なにやってもダメだった
元摂食障害の当事者が
「がんばらなくてもできること」で
幸せに豊かになれた方法
この前のお休みの日、
夕方にピンポンが鳴って
玄関を開けると
両親が縦に長い袋を持っていて。
お土産を持ってきてくれたのです。
中身は串焼きのサバ。
(串にささってるサバを初めて見た)
串の取っ手?持つところ?を持つと
めっちゃ重くて手首を痛めそうな
大きなサバで
1匹を家族みんなで
わけわけしていただきました。
うちの子どもたちの
お魚の食べ方には決まりがあって、
もち子(2歳)は全員分の「皮」を集めて
ひとりでぜんぶ食べます。笑
最初びっくりしたんですけど
今はもうそれが当たり前の光景に
なっていて、
スタミナ姫(6歳)は皮が苦手なので
むしろありがたい、という感じになってます。
今では魚が食卓に並ぶたびに
みんなが「はい、どうぞ。」と
もち子に皮をプレゼントします。
それでいいって思うんですよね。
大人の私たちの生き方も。
私が摂食障害になるほどに
生きづらかったとき、
自分だけで完全な「マル」に
なろうとしてたなぁって思うんです。
完璧主義で、
迷惑はかけちゃダメで、
人に頼っちゃダメだった。
でも、「完璧主義」なだけで
まったく「完璧」ではないし
発達的な偏りもあるので
できないのですよ。
思ったようには。
自分の完璧主義を通そうとして
めちゃめちゃ1人でがんばって
結果的に
まわりに迷惑かけちゃったときなんかは
もうどうすりゃよかったのかと
自分を責めるし
過食でやり場のない気持ちを
ごまかしてたなぁと思いだします。
でも
もち子とスタミナ姫みたいに
「苦手なもの」は「得意な人」に
渡せばいいんだな
って思うのです。
自分が苦手なことは
ほかの人もやりたくないんだろうって
思ったりするんですけど、
どうやら全然
そうじゃないっぽいのですよね。
自分が苦手なことを
得意な人がいる。
自分が得意なことを
苦手としている人がいる。
それを交換したら
いいだけだったんだなぁって。
それを簡単に
しかも変に気を遣わずに
実現できるひとつの方法が
「自分ビジネス」なのかもしれないな
って思ったりします。
「好きなことだけしてもいい」って
自分に許可を出すと、
苦手なことをカバーしてくれて
しかも喜んでもらえる
ありがたすぎる
「人」とか「方法」とか「ツール」に
出会うものなんだなぁと
最近 すごく実感するんですよね。
そういう出会いの瞬間って
本当に本当にありがたい気持ち
になります。
こちらはめちゃめちゃ感謝するけど
相手にとってはそこまで負担でも
なかったりとかして
(得意なことだから)
逆に自分の得意な部分は
全然 負担に思わなくて
(むしろ幸せ)
一人で「マル」にならなくても
得意と苦手を交換して
全体で「マル」になれば
それでよかったんだなぁと
思うのです。
あなたには
苦手なことを
我慢しながら
嫌々ながら
やっていることはありませんか?
もしかしたらそれ
やめちゃって
頼ったほうが
まわりを幸せに
できちゃうかもしれませんね。
皮をもらって喜ぶもち子的な人が
きっと周りにいると思うのです。
もち子的な人は
皮をもらうとすごくうれしいので
きっと喜んでくれます。
ちなみにもち子は
「皮」のことを「ほね」といいます。
「ほね たべる~」といつも言うてます。笑

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