別にやさぐれているわけではない。
ただ、どうも違和感がある。


「皆さんのおかげです」
「やっぱり大切なのは人と人との繋がりですね」
「日々、感謝!」


今に始まったことではないが、皆やたらと言い過ぎなのではないか?
よくある芸能人のブログのように。
何と安い感謝であることよ。
不況になればなるほど、その傾向は顕著だ。
逆にバブル期のタクシーの態度はどうだったか。心当たりがあるだろう。



言う分にはタダだから。そこがいけない。
とりあえず言っときゃいい、みたいな風潮があるのではないか。
いっぺん、「言葉税」を導入してみると面白いかも知れない。
言葉を発するごとに税金が掛かるの。
この国からどれだけの「ありがとう」が消え失せることか。



とりあえず言っときゃいい、という姿勢には別の目的もある。
即ち、我が身を守る「保険」を得るためである。
しかしそれは気休めでしかない。
日々感謝していようがいまいが、不運は分け隔てなく襲い来るのである。

真の信仰心とは苦境に立った時にこそ分かるものだ。
「あれだけ毎日仏神に感謝していたのに、どうしてこんな目に?」
などと言い出す人間が信奉していたのは、せいぜい福の神であろう。



「人との繋がりを大切にし、感謝の気持ちを忘れずにいれば仕事は続くのです」


そんなの結果論だろ。
感謝という看板をぶら下げ、ニコニコ歩いていれば仕事にありつけるのか。
人柄が仕事をしてくれるわけでもあるまいに。
「私は相手にこれだけの技術と労力を提供し、結果これだけの収益をもたらしました」
仕事上の関係など、これ以上でも以下でもない。余計な装飾は必要ない。



個人的には、感謝感謝とやたら口にする人間は逆に胡散臭く感じる。
そういう人間に限って、損得勘定で相手を選別しているからだ。
感謝すべき対象は自分に「得」をもたらしてくれる相手だけ。


そんな人間関係だけで楽しいのだろうか。
私にあるのは「快」か「不快」かだ。
快でありなおかつ得ならば万々歳だが、損であろうと快を選ぶこともある。



感謝なんて本来、子が親を思うようにごく自然なものだ。
ことさら喧伝する類のものではない。
言わずもがなの心情だ。


要するに、行動で示すべきなのである。
それは必ずしも、恩情を受けた相手に対してとは限らない。
私はあるプロデューサーから発想法などを学んだ。
その人のおかげでデビュー出来た。
今度はその手法をMTAの塾生に惜しみなく教えている。
これこそ広い意味での恩返しだと信じているからだ。



つまり、私にはやるべきことがまだまだあるということだ。


汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗