「元同級生」よりも「同窓生」という表現の方が好きだ。
歩く度に木製の床が鳴る、古びた校舎。
単調なトーンで響く、教師の声。
カッ、カッ、とリズミカルに打ち付けられるチョーク。
その粉が、柔らかな日射しにキラキラと輝く。
昼下がりの教室は空気さえも緩みきり、思わずまどろみそうになる。
そよ風に揺れる白いカーテン。
窓外に目をやり、いつもと変わらぬ風景をぼんやりと眺める。
自分は何者にだってなれるのだという、純然たる可能性さえまるで自覚していない。
時間に対して尊大でいられた、贅沢なひととき。
同じ服を着た連中。
同じ景色を眺めた仲間たち。
同窓生。
高校時代の同窓生も、そろそろ各方面で活躍する年齢になってきた。
エチオピアで医療活動に従事していた「世界の医療団」の医師、赤羽桂子さんもその一人だ。
武装集団による108日間にも及ぶ監禁生活はさぞ辛かったであろう。
無事に解放された今、そっとしておいてあげることが最良のケアになると思う。
ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから。
それにしても、である。
当時の「まっさらだった」仲間の一人がかくも崇高な志を抱き、かつそれを実践していたとは。
彼女とは殆ど直接的な交流はなかったものの、同窓生として心から誇らしく思う。
久し振りにあの頃の連中と会い、活躍ぶりを直に聞いてみたいものだ。
しかし、どうにも解せないことがある。
同窓会に呼ばれたためしがないのだ。
噂ではしょっちゅう催されているらしいのだが……。
この謎が、どうしても解けない。
私は人気者だったはずなのに(^_^)v