久々にTUTAYAでレンタルしまして、
リチャードギア主演の"ロスト イン マンハッタン"
撮影中にリチャードギアが本物のホームレスに間違えられて、、、。というエピソードで話題になった映画です。
職を失い妻を失った主人公が、絶望から立ち上がれず十数年、気がついたらホームレスになっていて、街のなかを徘徊しシェルターに寝泊まりし、育児放棄した一人娘に小金をせびりに行く。という日常を追ったストーリー。
レビューを見ると評価は低く、「最低の父親」とか、「税金の無駄遣い」とか厳しい書き込みが多かったのですが、私的には"リチャードギアが好き❤"と言うことを差し引いても、逸作だったと思います。
環境だったり 政治だったり 思想だったり 教育だったり 身体的理由だったり あらゆる状況下で、「生産性を軸とした現代の社会」にフィットしない人はいると思うけど、その人たちを役に立たないと排除してしまうのはこちら側にいる人のエゴ。
映画の中でリチャードギアが物ごいをするのですが、通行人は無視して通りすぎる。何かを始めようとしてもソーシャルセキュリティナンバー(日本でも始まりました。)がなければ、始めることができない。
つまり、

人として存在していないも同然。
一方、親切なカフェのオーナーが声をかけ食事を提供してくれるのですが、そのカフェでホームレス(リチャードギア)が奏でるピアノの音色の美しいこと。
迷惑掛けられっぱなしの娘がホームレスの父親を放っておけないのも、社会人としてはダメかもしれないけど、人間とし彼女にとってはかけがえのない存在だと気付いているから。
N.Yではホームレスが6万人という記事を見ました。しかも若年層。親からのネグレクトや暴力などの虐待をうけて逃げてきた人たち。生きるために4人に1人が売春をしているそうです。
日本ではどうなのでしょうか?
もう何年も前になりますが、「買い付け旅行の間留守にするので、鉢植えに水をあげておいてほしい。」とpapaが背の高いホームレスに少しばかりのお金を渡してお願いし、帰ってきたらお花がびっくりするくらいに生き生きしていた!ということがありました。お礼が言いたかったのですがその後会うことはありませんでした。
東京にいたとき(十数年前)も都営新宿線の地下鉄に大勢のホームレスがいました。
通学の為、いつも見かけるおじさんに「のんでくか?」と声をかけられることもありました。
私が子供の頃には荒川橋(山梨)の下にもホームレスいて、当時の親達の怒り文句が「言うことを聞かないと橋の下に捨てるよ。」でしたが、ひそかに段ボールの家に興味津々だったのを覚えています。
あと、イチヤママートのパン屋さんが大きな袋にパンの耳をつめて¥10で売っていたのをホームレスが買っていたのを見たこともあります。
今、ホームレス全然見かけないですよね。不自然なくらいに。
貧困がなくなったのか?
保護制度がととのったのか?
もしくは、ホームレスというチョイスですら出来なくなったのか?
状況は変わらないまま、ただその人たちが排除されたのではないことを祈ります。
野良犬をみかけなくなったように・・・。