時に

遠慮と謙遜は

剣となって

相手を傷つける。







たとえば応援してくれるひとに

たとえば傍にいてくれるひとに

たとえば好きだと言ってくれるひとに





多分、そうです

一応、そうですね

わたしなんかが…

いえいえわたしなんて




みたいなへりくだりや

自信の無い返事をしているとしたら

それは

自分を守りながら

相手の選択を否定している。





え、

こんなに好きなのに?

こんなにかっこいいって思ってるのに?

プロだって尊敬してるのに?

一応なんだ…

多分なんだ…





「わたしなんか」

というひとを

わたしは

好きなのか…














謙遜や遠慮は、

本当に美徳なんだろうか?












日本人の美しさと言われるそれは、

ほんとうは

謙遜や遠慮そのものが

美しさとイコールなのではなくて









自分と相手を

同じくらい尊ぶ

その精神に、

あるんじゃないだろうか。









自分のことを

否定しながら

相手を否定してない?







自分のことを

バカにしながら

相手をバカにしてない?











あなたの魂は

世界のすべて。





世界を愛するのなら

他者を尊ぶのなら

まずは

その愛や敬意を

自分に向けてあげよう。







話はそれからだ。






大丈夫。

自信なんて最初からもつひとはいないし、

何かしたから、身につくものでもない。





その何も無いと思っている

いまのあなたのまま

認め

受け入れ、

他者に開くだけ。















僕が好きになった人なのに

どうしてそんなこと言うの?












悲しそうに

言われたことを思い出す。









あなたは

わたしのお気に入り。

あなたは

宇宙のお気に入り。







その謙遜という盾を捨て

遠慮という剣を折ろう。