一万時間やり続けると

百人にひとりの人になれるという。

それはある種の継続性であり

一貫性。




けれど

専業であらねばならないという拘りと執着は

いまの時代ではむしろ逆方向へと向かう。

あらゆるものを

自分自身の手元から手放し

共有し巡らせる。

その放任と、信頼。







柔軟性と一貫性。

継続と放任。

そのバランス。









人間は人間であるというだけで

実はほんとうは

みんな似ている。



天才もバカも紙一重だし

正義や常識は

ひとりひとりが

信じているだけで

実際には存在しない。



100%共感できる人もいないし

100%合わない人もいない。

だから

善も悪も

本来は

善「意」でしかなく

悪「意」でしかない。




同じように

個も己も

実際は存在しない。



みんな同じだ、ということを承知の上で

真似たいひとを

真似たいことを

やり尽くすと

底が抜けて

個性みたいになる。

ただ、

それだけのことだ。

ただ、

それをやれるひとが少ない。

だから

やる前から、真似ることをやらずに

存在しない個性を探し

己だけの

特別な何かを、ひとは求め続ける。




わたしたちに

生きる意味なんて

ほんとうは無い。





意味のあるものほど

本当は価値が無いからだ。




無意味なことを

価値あることのように

愛することこそ

わたしたちがここに

人間として生きる唯一の理由だ。


















西野亮廣さんと堀江貴文さんの共著を読む度



このひとたちと同じ目で世界を見たい




と切望する。






彼らは


後ろを振り返りはしなくとも


待ってくれているわけではなくとも


何処かの酒場で


「諦めるな」


「大丈夫、いけるよ」


と言い続けてくれている。





その言葉に触れ


同じ目で世界を見たい



思えた時点で


もう同期は始まっていると


思わせてくれる力が


彼らにはある。







同じ世界を見て、


一緒に世界を創りに行く







そのためには


やり続けることだ。








一万時間


ことばを綴る










さてまずは


始めることから


始めてみよう。


















入江