はじめの大学病院での診察から、

予約が取りづらかったであろうセレブ病院での検査、受診まで

ずっと付き添ってくれている母。


母親にはホントに心労かけてしまったなぁって思います。


告知後に、一緒に泣いてくれた母。

自分が身代わりになれなくてごめんね 
命かけてでもロキちゃん守ってみせるから、絶対治そうね!

と、前向きな言葉で、励ましてくれてました。


そんな母、
実は、最初の大学病院の時点で、既によくない結果を受けていたらしいです。

そして、敢えて私にそんな素振りを見せなかった。

実はあのとき、結婚は難しいでしょう、出産なんてもってのほか!!っていう風に

これからの私の人生を見限られてたそうです。(それで怒ってたのね…)


結婚や出産についてとか、いつかは~とは思っていたものの

これまで現実的に考える機会がなかったものの、

知らず知らずのうちに、それをあきらめなくちゃいけないという状況に置かれてた私。


お気楽すぎ、無知すぎる私は、全くもって疑いもせず
まさか自分が病気だなんて知る由もなかったんだけど。

告知されたときは頭真っ白だったけど、先のこともよく見えず
自分が立たされている境地すらも、今考えてみたらよくわかってなかったんだと思います。


そして、S路加病院で女医さんから告知された直後にもかかわらず

母は心積もりができていたのか、

わなわな泣いてる私の隣で

 「抗がん剤はできたら、避ける方向でお願いしたいんです」とか

 「手術はN先生にお願いしたいんです」 とか
具体的すぎる希望を述べていた!!

てか、抗がん剤って何!ってくらい初心者な私!

「どうしてもNでなければならないのですか?」と女医さん。

「はい!どうしても!!

主人からこの先生にお願いしてきなさいと言われてきているものですから」

と、父が本屋さんで買ったであろう「日本の名医」っていう持参した分厚い本を開いて見せた。


ちょ・・ちょっと!そんな本広げて、
女医さんの手前失礼じゃない?って思う私をよそに

「どうか、お願いします」母、引き下がらず。。

「わかりました。

ただNは、手術の件数が多く半年待ちの患者さんなどもいらっしゃいますが・・・それでもいいですか。」


「それでもいいです」

…そのとき感じた母のただならぬ気迫。


この母の強い思いや、言葉にずっと励まされてきたから
私はきっと自暴自棄にならずに済んだんだと思います。

 

お母さん、ロキちゃんの赤ちゃん代わりに産んであげるから

とまで言ってくれる母。


私どこまで親に負担かけたら済むのだろうか。

いや、これまで両親が見せてくれた「全力でわが子を守る」という姿勢、

今まで、私は自由奔放に自立して生きてきたように見えて、

実はまだまだこの両親の多大なる愛に救われてきたんだなって今更ながら感じます。