適正な価格の形成
ここでこれまでの話を一旦まとめましょう。理解して頂きたいのは
、ダグラスが問題にしているのは「労働者の搾取」といったことで
はなく、市場経済の要である「価格の形成」であることです。
まず、生産はあくまで人々の消費のためにあります。だから経済は
生産と消費がプラスマイナスゼロで過剰生産とか過少消費がないこ
とが望ましい。それゆえに価格は、それによって生産と消費が均衡
するようなものであるべきなのです。ところがダグラスが実際の商
品の価格を調べてみたら、その大部分を構成しているのは生産設備
の減価償却費や銀行への返済や将来に備えた研究開発費などで、労
働者の賃金給与は僅かなものでしかなかった。つまり機械制大工業
の時代には、価格は需要と供給の均衡によって自ずと決まるという
古典経済学の説はもう通用しないのです。
そしてこの価格の歪みという問題の解決策は市場の中から自然に出
てくることはない。というのも、その根本原因は、銀行が自分の金
融的利益の観点で実体経済に介入し社会の生産と消費を左右してい
ることにあるからです。
そして負債経済を解消する方策としては、国家による通貨の発行、
パブリック・カレンシー、公共通貨を発行し企業その他に利子なし
で融資するということでいいわけです。他方で雇用と所得を一定程
度切り離さないと、近代企業経済はそのジレンマから抜け出せない。
そしてこの切り離しをやるための方策が、ベーシック・インカムで
あるわけです。
国民配当と文化的遺産(カルチュラルヘリテージ)
ところでダグラスは、ベーシック・インカムではなくて国民配当
(National dividend) という言葉を使っています。これは配当なん
だと。どういう意味で配当なのかというと、まず、社会の結合と協
力から新しい富が生まれるんだということですね。
個々人の労働の成果とか対価ということではなくて、人々が結合し
協力すること自体から新しい富が生まれる。そうした富は言うなら
ば、共通の富のプールをなしている。その共通のプールから富をも
らう、引き出す権利は誰にでもある筈だということなのです。それ
は誰がどれくらい懸命に働いたかとか、そういうことには関係なが
ない。しかし生産は個々人の労働能力の結果や成果であると考えて
いるかぎり、この発想は出てこないでしょう。富とは共通のプール
をなすものという発想がないとね。そこでダグラスの独特の主張な
んですが、彼は文化的遺産、カルチュラルヘリテージというものを
強調します。これは彼のエンジニアとしての現場体験から出てきた
認識です。
彼によると、生産の90%は道具とプロセスの問題で、労働者の能力は
大した役割を演じていない。道具とプロセスが生産というものを大
方決定している。そうならば生産を決定しているのは共同体の文化
的な遺産や伝統にほかならない。道具や知識や技術は、そうした遺
産や伝統である。人類は何万年もかけて、そういう知識と技術の膨
大な蓄積を行ってきたのであり、だから現代人は改めて火の使い方
を学んだり、車輪を発明したりする必要はない。過去の何千という
世代が蓄積したものを我々は享受しているのでありまして、すべて
の人間は人類のそうした偉大な文化的遺産の相続人である。そうい
う相続人として配当をもらう権利があると彼は言っています。
富というものは、共通の富のプールとして人々の協力と結合から生
まれると同時に、文化的遺産として過去の諸世代もその創造に関わ
っている。そういう認識が国民配当を正当化します。
それからこれは私の個人的考えなのですが、自然は驚くべき富を人
類に与えながら何の見返りも要求していない。その意味では、富は
神ないし自然からの人類への贈り物と考えるべきです。宗教の安息
日という習慣は、富は人間の労働の成果ではなく神の贈り物である
ことを忘れないためにあるものです。こういう思想も国民配当を正
当化するひとつの論拠になると思います。それから先に申しました
ように、国民配当で人々への所得、購買力を保証しないかぎり、経
済は恐慌になっちゃう。現に恐慌になっています。だから恐慌を予
防する経済的方策ということも国民配当を正当化する理論的な論拠
になります。
この国民配当は内容的にはまさにベーシック・インカムのことです
が、この国民配当という言い方のほうがいいと私は思うんですね。
ベーシック・インカム、基礎所得保証という言い方をすると、通常
「所得」は雇用や労働に結びついている観念なので、何で働かない
でそんな所得をもらえるんだと反発や疑問が出てくる。その点、国
民配当という言い方だと、より分かりやすく受け入れられやすいの
ではないか。
もっともこれは社会信用論の立場に立たないと出てこない、ヴェル
ナーなんかの所得保証論からは出てこない言葉かもしれません。つ
まりこの言葉には、こういう配当をやらないと資本主義は恐慌で崩
壊してしまうという含意があるのです。
社会信用論とベーシック・インカム
ところで昨今は日本でもヴェルナーなどの本も翻訳され、ベーシッ
ク・インカムという言葉がかなり広まってきました。ただ、従来の
ベーシック・インカム論議は、どうも論拠とか思想的根拠がもやも
やしていて曖昧なんですね。
人道的な配慮からやることなのか、福祉国家を完成させるものなの
か、それとも福祉とは別のものなのか。そういうことがはっきりし
ていない。その点では社会信用論においては、所得保証をやらない
と恐慌になるという理論的にはっきりした論拠があるわけです。そ
してベーシック・インカム論の論拠に関しては様々な人が様々なこ
とを言っていますが、ダグラスの社会信用論の究極の目的は、銀行
と大企業の高度に組織された権力、影響力から個人を守り個人の自
由を確立することです。ですから個人の人格の自由な発展という思
想こそが社会信用論の、いわば哲学的基礎と言えるでしょう。
ところで、これまでのベーシック・インカムをめぐる議論は、必ず
財源の問題で躓いてきました。
これを所得税でやるとすると、まず足りないでしょう。膨大な費用
がかかりますから。それに所得税でやったら、ベーシック・インカ
ムとは金持ちのカネをむしって貧乏人にばらまく階級闘争だと思わ
れて非常にぎすぎすした社会になる。それでは、消費税でやったら
どうかというのがドイツのヴェルナーの意見ですが、とんでもない
率の消費税になってしまう(会場笑い)。せっかく所得を保証され
ても、商品が高すぎて何も買えない。ところが社会信用論に立脚す
るなら、財源の問題は一切心配する必要はないんです。パブリック
・カレンシーでやりますから。しかし、これは紙幣を勝手気ままに
じゃんじゃん刷ってばらまくということじゃない。生産能力があり
、人民の必要ないし需要があって、その統計データを踏まえて通貨
を発行して企業に融資するならば、経済は順調にまわっていきます。
「財源が難問」という発想は、国家の収入源は税金と国債しかない
という発想から出てくるものなのです。とにかく公共通貨で基礎所
得保証をやるならば財源のことは考えなくていい。その場合に問題
になるのは、庶民がそれを通貨として受け取るかどうかということ
だけです。しかし折角所得を保証をしてくれる通貨なのに、馴染み
のないお札だから受け取らないという人はいるでしょうか。みんな
喜んで受け取るんじゃないでしょうか。福沢諭吉の日銀券じゃなく
て、なにか別の図柄のお札だったとしても。そういうことで、財源
の問題は心配しなくてよろしい。
「所得への権利」という思想
しかしながら所得というものについては我々はまだまだ古い考え方
にとらわれておりまして、所得は雇用によってしか得られないもの
という考え方は日本の世論の中に深く根を張っています。
雇用による以外に富を分配できなかった過去の時代の発想という点
では自民党も共産党も似たようなもので、だから口をそろえて「雇
用を守れ」と騒ぐ。しかし現代という時代が要請しているのは「雇
用を守れ」というスローガンではなく、「所得への権利」という思
想なのです。そもそも企業の使命は消費者に良質の商品を効率よく
提供することであって、雇用を維持することではありません。従業
員の雇用を守るために材料費を削って粗悪な製品を作る企業を世間
は認めるでしょうか。そしてマネーこそまさに「先立つもの」で、
所得があってこそ潜在的需要が有効需要になって市場が活性化する。
そこで企業活動も活発になって雇用が拡大する。だから「まず雇用
を守れ」というのは全くの本末転倒なのです。
もちろん目の前に派遣切りで失業した人がいたら私だって何とか就
職口を斡旋してあげたいと思うでしょう。しかし経済システムを全
体として分析してみれば、雇用至上主義はまったく間違ったナンセ
ンスな立場でしかありません。
そして冒頭で申し上げたケインズの言葉ではありませんが、基礎所
得が保証されたらビジネスはやらずに芸術や学問や文化活動に携わ
る、そうした人たちがいっぱい出てきて、どこに問題がありますか。
そういう人たちは購買力で経済に貢献してくれればいいんです。そ
ういう文化で社会に貢献する人々こそ真の国力を作り上げるであり
ましょう。有能でバリバリ働く人が環境を破壊し社会の存続を危う
くしている、それが現代という時代です(会場笑い)。
やっぱり我々はマネーというものに対する呪物崇拝に陥っているの
ですね。報道で、定額給付金をもらったおばあちゃんが神棚に給付
金を祀ったという話がありましたね(会場笑い)。しかるにダグラ
スはマネーを切符に喩えています。
生活インフラとしてのマネー
鉄道の切符を買ってそれを神棚に祀る人はいないでしょう。切符は
それを使って電車に乗って移動するためのものです。お金もそうし
たもので、あくまで自分の欲する財やサービスを円滑に手に入れる
ための手段、その目的で富の分配を効率よくやるための手段である。
ダグラスがA+B定理で言っていることの根本はそこにあります。マ
ネーは本来分配の手段であるのに銀行の利益がそれを生産の手段に
しちゃっているから、企業にとっても労働者にとっても次々におか
しなことが起きてくるということです。
つまり現代においては生産の問題はすでに解決している。今日の問
題は分配であり、それゆえにマネーを分配の手段として考える視点
が必要である。そうしてこそマネーというものを客観的に、サイエ
ンティフィックに考察できる。そういう意味でマネーは切符のよう
なもの、経済生活に参加して社会から排除されないための切符なの
です。これを逆に言えば、現代の「貧困」とはたんにビンボーとい
うことではなくて、社会から排除され人間として否認されているこ
となのです。
別の言い方をするならば、現代においてはマネーは一種の生活イン
フラ、電気や水道のような生活インフラだということです。それを
呪物崇拝で、マネーとは何か神秘的な力を発揮する力や特権の源泉
と思う、そういう発想は根本的に間違っています。結局マネーを価
値を保蔵する手段とみなすこと自体が呪物崇拝なのです。そういう
意味で、人民が合意した公共の利益に基づいて発行される公共通貨
ならびに国民配当は、マネーを人々の生活インフラに変えていくた
めの制度です。もちろんチャンスがあったら商売をして儲けること
は否定されていません。しかしマネーはそれ以前に基本的に生活イ
ンフラでないと困るということです。さもないと経済がおかしくな
ります。
社会信用による資本の分散化
この点では社会信用論を資本の集中か分散かという観点から捉える
こともできます。
英国が東インド会社を創設して海洋商業に乗り出した17世紀、さら
に産業革命が進展した19世紀以降の時代には、資本の巨大な集中が
必要でした。銀行は資本を集中させる目的で作られた制度なのです。
日銀や連邦準銀が「中央」銀行と呼ばれるのは、そこに資本が集中
しているからです。しかし今のような資本過剰の時代に資本を集中
させておくと、資本はウオール街のカジノ資本主義の元手になって
世界経済のメルトダウンを惹き起こします。これに対しベーシック
・インカムは資本を個人という究極の単位にまで徹底的に分散させ
、それによって経済を安定させるものと言うことができます。
といっても、パブリック・カレンシーの発行には同意してもベーシ
ック・インカムには反発する人が多いだろうと思います。思うに、
働かないで所得をもらうのはおかしいと言う人たちはね、お金とい
うものを「報い」だと思っているんですよ。報い。辛い苦しいこと
に耐えてね(会場笑い)、その報いとしてお金を授かるという。人
生は辛い、悲しいものと思っている人たち。人生は楽しむべきもの
と考えない人たちが、雇用によらずに所得があるのはおかしいと言
うのではないか。
社会信用論の三つの支柱
ところでダグラスは、国民配当、ないしベーシック・インカムだけ
で民衆の購買力を確保できるとは考えていませんでした。社会信用
論には、実は三つの支柱があります。
公共通貨 = パブリック・カレンシー
国民配当 = ベーシック・インカム
正当価格 = ジャスト・プライス
パブリック・カレンシーがひとつですね。それから国民配当。そし
て三つめの支柱として正当価格・ジャスト・プライスというものが
あります。これはどういうことかというと、それによって生産と消
費が均衡するような価格だけが「正当」な価格だということです。
具体的に言うと、例えば直前の四半期の日本経済の国民経済計算を
やってみて、仮に、生産の総計が100、消費の総計が75だったとしま
す。すると25%の消費ギャップがあります。これをどうやって埋める
か。それならこのギャップに等しい割合で小売価格を一律に引き下
げたらいい。販売部門ですべての商品の価格を25%ディスカウントす
る。それによって価格は生産と消費の均衡を表すものになります。
といっても小売部門をいじめて損をさせようということではありま
せん。小売部門は売上伝票をとっておいて、国家は割り引きした25%
の分を後で小売部門に対して補償します。だからダグラスはこのジ
ャスト・プライスのことを補償される割引(compensated discount)
とも呼んでいます。これは消費税とは180度反対のものですね。
こういう形でやって(以下の図3を参照)、販売部門に関しては売れ
ば売るほど儲かるという商業の論理は否定されていません。ただ価
格をつり上げることで儲けることが否定されている。このディスカ
ウントによって消費と生産が均衡し、インフレが起きなくなります。
そしてこの正当価格によって、すでにベーシック・インカムで補強
された庶民の購買力がさらに強化される、拡大される。そういう意
味では正当価格はいわば消費保証の措置とも言えるでしょう。消費
保証であり、また小売部門に対する所得保証でもある。
この三つの支柱が組み合わさることで、生産と消費が完全に均衡し
通貨が円滑に流れて経済の動脈硬化の原因になったりしない経済が
可能になると彼は言っています。ところが社会信用論を「要するに
おカネのばら撒きだ」と誤解して受け取って、そんなことをやると
暴走インフレが起きると心配する人がいます。もともとインフレや
デフレ、不況や恐慌は銀行が実体経済の生産や消費とは無関係に自
分の都合でおカネを出したり引っ込めたりすることが原因で起きる
ものです。社会信用論では、通貨はあくまで国民経済の潜在的な生
産と消費の能力を示す統計データの集計、分析、予測に基づいて供
給されます。
ですから経済がもしもインフレ気味になったとしたら、それはデー
タに誤認があるか分析に誤謬があるせいです。だからどこに誤認や
誤謬があったのかを検討して政策の再調整をやればインフレは解消
する筈です。これはいわば気象庁が天気予報の修正をやるようなも
のです。
社会クレジットの資本フロー
これまでお話ししてきたことをちょっと図式(図(1)~(3))にしま
す。
図1:社会信用論の基本構図
図2:通貨の発行 生産の目的は消費である。 通貨はこのことを円滑
に実現するために発行される。 即ち通貨は、(1)人々の間の潜在的
需要をマネーに裏打ちされた有効需要に変え、(2)消費のための生産
を促進する目的で供給される。 その発行は直前の四半期の国民経済
計算のデータに基づき、企業と一人ひとりの国民に供給される。
図3:通貨の回収 生産の目的は消費なのだから、経済においては生
産と消費が均衡して、プラスマイナス・ゼロであることが望ましい。
そこで、国家は勤労者/消費者に対し所得保証を実施するだけでな
く、需要ギャップが生じた場合には、それに等しい割合で小売価格を
一律に引き下げることを小売り部門に要請する。 そして、割り引い
た分は、後で国立銀行によって小売部門に補償される。
私のまとめ方がまずいので、分かりにくい方もおられると思います
ので、ダグラスは通貨の管理をやる部局をナショナル・クレジット
・オフィス、国家信用局と言っていますが、一応、国立銀行と書き
ましょう。日銀と違います。これは本当の国立銀行です。公共貨幣
を発行しそれを利子なしで融資します。この公共通貨は、教育や医
療や公共インフラの整備といった、公共性の高いものにもちろん融
資されますけれども、問題は、これと企業の関係ですね。
企業に対しても公共通貨は無利子で融資される。企業はそれで自分
の好きな商品を作っていい、儲かると思ったものを作っていい。企
業が出荷した商品は、問屋を経て小売りに行く。これは生産の面で
す。
一方企業は自分のところで働いている労働者に賃金を払う。勤労者
はその賃金をもって小売部門に買い物に行って消費者になる。小売
り段階で生産と消費が出会う。しかし勤労者に対しては国民配当が
、月に10万なら10万出ています。その一方で小売商は衣料品を売り
たいので、国立銀行から商品を仕入れるために1,000万円を当座貸し
越しで借りるとします。そして衣料品をディスカウントした正当価
格で売る。それから小売商は売り上げ金の中から無利子で借りた資
金を銀行に返す。国立銀行の方はその際にディスカウントした分を
小売商に補償します。
これによってインフレは起きないし庶民の購買力は確保される。
人々は買った商品の代金を小売店に支払う、小売店はそれで企業か
ら出荷された商品の代金を払うと共に銀行に仕入れの資金を返済し
、企業は小売から来た代金で国に融資された資金を返済する。これ
が通貨が回収される過程になります。お金の流れは完全に生産と消
費のリズムに一致していて、それに即して通貨が供給され、回収さ
れる。だから経済のどこにおいても、マネーが滞留して経済が動脈
硬化を起こすことがない。すべては絶えず順調に流れるようになっ
ています。
重要なことは、こうして通貨が潤滑油になって経済が順調なサイク
ルを形づくって回っていくことであります。これが社会信用論のポ
イントだと考えていただいて結構です。ところでベーシック・イン
カムをやるとするなら、その額はどれくらいが妥当かがいろいろ議
論されています。私の考えでは、社会信用論に立脚するならば国民
経済計算から引き出されるある程度客観性のある支給額の目安が存
在するように思います。
たとえば、今のアメリカで社会信用運動を代表しているリチャード
・クックという人がいます。この人は最近オバマ大統領にクック・
プランというアメリカ経済の再建案を送ったのですが、まあ、オバ
マが相手にしてくれる可能性はゼロでしょう。このプランで彼はす
べてのアメリカ人に月10万円。子どもには5万円のベーシック・イン
カムを支給することを提案しています。これに要する総費用が3兆6
千億ドルで、丁度アメリカ人の個人負債の総計に等しいそうです。
だから彼の案は、アメリカの勤労者が所得不足をクレジットカード
などのローンで補ってきたことを反映しているわけです。日本の家
計の場合はアメリカほどのローン地獄ではないので、クックと同じ
論理を使うわけにはいきませんが。
とにかくベーシック・インカムが月50万円ではインフレになっちゃ
うし、月1万じゃ経済循環の支えになる役目を果たさない、やはり
どこかに目安があるだろうと思います。
財政赤字解消、社会信用による公共事業、税金の廃止
それからパブリック・カレンシー、公共通貨の問題ですけれども、
これをきちんと制度化できれば、日本国の800兆といわれる財政赤字
をぜんぶチャラにできます。というのも、先ほど言いましたように
、マネーというのは、人がマネーと思って受け取れば、石ころでも
木の葉でもマネーになるわけです。そうすると、この公共通貨で所
得保証ということになれば、みんなそれを喜んで受け取ると思うん
ですね。みんなが受け取ったら、それはもう流通しちゃったんで、
立派なマネーなんです。
そうなったら銀行も拒否できない。しかも日銀券と兌換性をもつよ
うなマネーとして発行すれば、銀行も当然取引対象に使う。そうす
ると、銀行がもっている膨大な日本国国債を順次公共通貨で買い取
ってチャラにすることが可能になる。銀行にしてみれば自分の資産
が減ることになるから、抵抗するでしょうが。もっとも一挙に800兆
を返したら経済が大混乱するから段階的に返済ということになるで
しょう。
それから、公共事業を社会信用論でやるとしたらどうなるか。
かりにどこかの自治体が橋をつくることになり、業者が入札すると
します。A、B、C、Dという業者が入札して、Aが10億円で落としたと
します。そこでAは国から無利子でこの橋の工事をやるための資金を
融資してもらう。そして橋が竣工したら自治体がAに10億円を払う。
Aはそれで当座借越していた資金を国に返済する。そして橋に高い公
共性が認められたら国はそれを自治体に回す。結果的には国が直接
自治体に融資したのとほぼ同じことですが、入札の可能性を組み込
んで自由経済と公共通貨を両立させる。
ただこの先に減価償却費という問題が出てきます。何十年か経つと
橋が痛んでくるので建て替える必要が出てくる。その減価償却費が
たとえば毎年500万円だとします。それをどうするか。住民から税金
を徴収してそれで賄うか。しかし先に言った正当価格という方策が
ある。この500万円の分だけ正当価格を上げて増収分を公共事業関係
費に充てればいい。25%のディスカウントなら、それをたとえば24%
にして増収分で公共事業の減価償却費を払ってしまうということで
す。その結果、じゃんじゃか公共事業をやると、すぐに物価に響い
てくることになります。そうなると、公共事業のあり方について人
民はきわめて敏感になるのではないでしょうか。
それから先ほど国の財政赤字をチャラにできると言いましたが、将
来パブリック・カレンシーがきちんと制度化されたなら税金という
ものを基本的になくすことができます。税金は政府の人民に対する
強盗行為みたいなもので、本来あってはならないものだと思います。
要するに税金は弱いものいじめの制度です。金持ちにはいくらでも
脱税や財産隠しの手がある。大企業はどれほど法人税を課されても
、それを商品の価格に転嫁してしまう。その一方でサラリーマンは
給与から天引きで源泉徴収、そのうえ会社からの帰りに憂さ晴らし
に居酒屋で飲むビールや焼酎も税金のかたまり。これではまるで中
世の農奴です。
それでは税金をなくすにはどうすればいいか。教育医療インフラの
整備など現代国家の公共サービスはどれほど金食い虫でも手抜きや
縮小は許されません。そこでですが、先ほどまで公共通貨は無利子
で融資されると申しましたが、これに1~2%の利子を付けて、それを
国家の収入源にしたらどうか。公共通貨による融資は国民経済の大
動脈をなしているので、たとえ1~2%の利子でも国の収入は膨大なも
のになる筈です。そしてこの方策には税金と違って不正や不公平と
いうことが全然ありません。
実はこの方策には実例が現存しています。アメリカの北ダコタ州に
は北ダコタ銀行という20世紀始めに西部の農民運動が生み出したア
メリカで唯一の州立の銀行があります。これは地域経済の繁栄と発
展のために創設された銀行で、今のアメリカのメガバンクの危機の
中でもビクともしていません。そしてこの銀行の利子収入は州政府
の収入になります。そのお陰でアメリカ50州のうち46州がほぼ破産
状態なのに北ダコタ州の財政は黒字です。この実例をみても、国家
の収入源が税金と国債ということがいかに経済と政治を根本から歪
めているかが分かります。
衆知を結集したプランづくりを
それから最後に強調しておきたいことは、ベーシック・インカムに
せよ公共通貨の発行にせよ、いざ実施するとなるとそのやり方は国
情や歴史の違いゆえに国毎に千差万別になるだろうということです。
だから私がみなさんに関プランというものを出して押しつけること
はできません。
会場には120名以上の市民が詰めかけた。参加者のなかには小沢修
司さん(京都府立大学教授)、田中康夫さん(新党日本代表)、曽
我逸郎さん(長野県中川村村長)の姿も。(後ほど公開予定の質疑
応答参照)
日本の国情にいちばん適して、みんなが望む案はどういうものか衆
知を集めて考えるしかありません。公共通貨、国民配当、正当価格
、この三つの原則さえ守れば具体的なやり方はいろいろある。です
から、今日会場で資料をお渡ししましたのも、家に帰ってから資料
を読んでいただき、どういうやり方がいいか、みなさんなり、グル
ープなりで考えていただきたいからなんです。
たとえばです、公共通貨で企業に融資するとして、公共性の高い企
業に融資するのはいいけれど、パチンコ屋に融資するかどうか、ち
ょっと考えちゃうと思うんです。といっても、パチンコ屋が庶民の
娯楽であることも否定できない。融資しないのもおかしいのではな
いか。ですから、もし公共通貨が実現したとしても、民間銀行に一
定の役割はあるだろうと私は考えております。しかし部分準備制度
に基づいて無から幻のマネーを作り出すことは絶対に認めてはいけ
ない。これが諸悪の根源なんですから。あくまで預かっている預金
を必要な人に貸して手数料を稼ぐだけの堅実なマネーの仲介業者で
あってほしい。他方で、民間銀行なんかなくしてしまえ、国立銀行
と公共通貨一本やりでいいんだという考え方もありうる。
さっき、リチャード・クックについて言及しましたが、彼のクック
プランでは、月10万円ほどのベーシック・インカムを紙幣でなくバ
ウチャーで配ることになっています。ベーシック・インカムはあく
まで衣食住に使ってもらいたい、酒や博打に使われちゃ困るからバ
ウチャーでやる、ということなんです。私としてはベーシック・イ
ンカムを酒や博打に使う人がいたって構わないじゃないかと思うの
で、バウチャーでやるというのはきついなあと感じます。それはと
にかく、これもやり方がいろいろある一例です。
それから、公共通貨の発行にしても、そのために国立銀行を新たに
つくるのか。日銀なり日銀券をそのまま残して中身を換骨奪胎して
やるという手法もありえます。だから社会信用論の具体的なあり方
は、歴史と国情に即して実に多様なものになります。
社会変革の道具としてのベーシック・インカム
ここで私個人の考えを申し上げますと、日本という国には明治維新
以来の東京一極集中という一大害悪があると思います。東京だけが
グローバル都市になり地方は植民地化されてきました。今はもう植
民地どころではなく棄民地域みたいになっている地方もある。それ
だけに地方が再生すれば、その農業、地場産業、中小企業なりが再
生すれば、そこから新しい形の経済、たぶんよりエコロジカルな経
済が誕生するでありましょう。
そう考えると、ベーシック・インカムを実施する際には首都圏を5年
くらい所得保証の対象からはずしたらどうだろうと(会場笑い)、
そうすれば、地方に行けば基礎所得が保証されるというので、首都
圏に集中している人口、とくに若年層がどっと地方に移動して、自
動的に人返しができる。
たとえば東京のサラリーマンで、できれば脱サラして地方で有機農
業をやりたいと思っているような人。しかし農業でそれなりに自立
するには10年やそこらかかるでしょう。ベーシック・インカムがあ
れば、その間安心して農業の習得に専念できる。そして地方に若者
が来る、人が来る、それだけで需要が生まれ、ビジネスが生まれま
す。だから首都圏は一定期間保証の対象からはずした方がいいとい
うのが私の意見です(会場笑い)。
まあ私の案に皆さんが賛成するかどうかは別にして、ベーシック・
インカムはこんな風に社会の変革にも使えるということはとても大
事なことだと思います。
皆さんもお分かりのように、目下の経済危機はたんに経済的なもの
ではありません。恐慌に加えて地球の温暖化や原油生産の逓減とい
うダブルパンチになっています。これはいわゆる“緑のニューディ
ール”で太陽光発電を普及させたくらいでは到底乗り切れない危機
、文明の転換点だと言っていいと思います。こういう転機には、学
者や役人はもう頼りになりません、文明の転換のためには、無数の
無名の人々が草の根レベルで試行錯誤して新しい生き方を模索する
ことが必要でしょう。そしてベーシック・インカムは、そうした人
々がいろいろな実験を試みることを容易にします。失敗や挫折を恐
れない生き方を可能にします。
ベーシック・インカムというと、雇用や所得をめぐる不安がなくな
るというその福祉効果に我々は気をとられがちなのですが、社会的
な実験が容易になることにその最も重要な意義があることを強調し
ておきたいと思います。
党派を越えた議論に期待
締めくくりにあと二点ばかり申し上げたいことがあります。とにか
くベーシック・インカムは決して党派的な主張にしてはならない。
戦前の社会信用運動が挫折した理由のひとつが、なまじカナダでダ
グラスの議論が大評判になって党派ができちゃったことなんです。
社会信用党という党が結成され、しかもそれがアルバータ州で政権
の座に就いた。ところが州政府の権力を握ったのはいいけれど、結
局社会信用運動の名に値することは何もやらなかった。そして最後
には世論に一種の右翼政党とみなされてしまった。ダグラスは当初
はこの党に助言していましたが、すぐに見切りをつけ批判の文章を
書いています。そのような苦い経験があるわけです。
打ったらハマるパチンコの罠