一度娘と眠りに落ちたけれど、
やはり今日のうちに
どうしても今日の気持ちを書きたくて、
目を覚ました。
去年のブログは何を書いたんだろうと、
昨年を覗いてみた。
以外にも、その日書いたのは下書きのままだった。
今日それを公開した。
何気ないブログ。
それはH23年3月11日13:26頃記されたものだった。
地震の訃報を知る1時間半ほど前。
そのもうちょっと前に、
私は1通のメールを頂いた。
娘がお世話になっている
保育園の園長先生からだ。
なぜ彼女からメールを頂いたのかは
また別の機会にしよう。
とにかく、彼女のメールは
病気による体調不良で、
東京からの遠隔経営が出来難くなったため、
4月1日からの保育園の経営を
一切引き継いでほしい。
私にとっては、もうこれこそ
青天の霹靂
頭が真っ白になったメールであった。
真っ暗なトンネルの中から、すごく明るいところに急に出てきて、
眩しいくらい真っ白の中、
目を開いて何とか何かを見ようとしたような。
そんな思いの、その直後に書いたのが、
このブログだったのだと思う。
下書きをして、後でアップしよう。
多分そう思ったに違いない。
ああ、どうしよう。そう思いながら。
そしてそのまま、義理の父からの
電話で、地震の報告を受け、
東京で連絡の取り合えない
義理の両親と福岡を経由しながら連絡を取り合ったり、
私の母も偶然上京していて、
どんどん、震源地の様子を報道され
あまりの現地の悲惨な状況を目の前にして
ほんとうに、
今日の1年前は頭が真っ白でした。
正直言うと、
それからの9か月近くは
真っ白なまま(ある意味真っ暗な中)、
進んできた気がする。
こんなのほほんとした私が
この日を境に
待ったの無い、決断を瀬間まれ
息つく暇もなかった。
(はたからは到底そう見えませんが
)
10日後に、同じように肩を並べる保育園の
保護者を前に説明会を行った。
もちろん体調を壊したうえ、
被災した当時の園長先生は、
来れるはずがなかった。
安心して子供を預けていたはずの
保育園が無くなる?
保護者の方も同じように
地震の影響を受け、
不安でいっぱいだったと思います。
とにかく、私は、
子どもたちの笑顔を守りたい。その一心だけで、
立ち上がったのだと今思います。
その10日後には子どもたちの進級式を控え、
その次の日からは、私が園長になり
新しい園を立ち上げるなんて。
説明会で、みんなにどう攻められるのだろうか?
子どもたちは残ってくれるだろうか?
足が震える中、みんなの前に立ったのを
昨日のように覚えています。
きっと半信半疑であっただろうけれど、
新しい園のスタートに残ってくださった園児は
16名でした。
現在は30名を超え、昨年の11月に
園を増床する程になりました。
転勤する先生方を外せば、
スタッフもそのままみな引き続き
続けてくれ、新しい先生を数名も
迎えることが出来ました。
すべては、子どもたちの笑顔のために。
私たちは、その笑顔があったから頑張れたんだと思います。
子どもたちの笑顔を見てください。
東北ではまだまだ復興が遅れたり、
辛い状況に置かれてる皆さんがいます。
でも、笑顔で頑張っている方がいます。
笑顔は素晴らしい。
日々、自分らしく笑顔で過ごすことが
私に出来ることの基本。
自分に出来る一歩を明日も頑張ります。
亡くなった方々へのご冥福を祈るとともに、
被災地の方々の笑顔が皆様に戻る事を祈ります