なんばグランド花月に行き、漫才を初鑑賞。

テンダラー、小ネタの一つ一つは面白いんだけど話題があまりにもコロコロ変わるので、ズルじゃんと思ってしまった。

「~といえば」というような繋がりも一切なく、あの漫才の紋切り型のスタートが何回も繰り返されていた。

あとアインシュタインは、稲田が面白いのも十分わかった上で、顔いじりに終始するのはつまらないと思う。

お笑い芸人や漫才は嫌いではないのに親しんでこなかったのは、必ずどこかに矛盾点や冷めポイントを見つけてしまうからだ。

どんなお笑いも面白も誰かにとってはつまらないし、私は何にでも批判的になり過ぎているから、本当は十分に面白いのにその実力を遺憾なく発揮することができていない気がする。

どんなに面白くなくても発信している方が偉いと思っているので、そういう人を見たときには『ナイス、ファイト』と思うが、ナイスファイトと言われましても。どうにか褒めどころを見つけ、引き攣った笑顔で笑われましても。

ナイスファイトという言葉は『無さ』を強調させるから空しくなる。でも俯瞰で冷笑されるよりはずっといい。秋葉原のあのハルヒを踊っていた集団にも、ナイス、ファイト。

 

いつかナイス、ファイト(態度に乾杯)ではなく、ただ面白いと思って欲しいね。

 

端ってあるじゃないですか。町の端っこ、隣町との境目。プールの端っこ。泳ぎ切って指先が触れる場所。

現実にもその感覚があって、私はもう目に見える範囲の現実について考えきった。すべて自分のものとして腹落ちしている。

だからもう飽きたね。嘘や冗談しか言いたくないです。現実にはすべて意味がないと思えてしまったから。

絶対に面白くい続けたいし、面白いという絶対的な自信を持ち続けたまま何人かに見てもらえたら本望ですねと思う。

 

ティファニーブルーはなぜ売れたか?それはブルーではないから。きわめてグリーンに近い、しかしグリーンの気持ち悪い部分、植物を連想させる部分を綺麗にはぎ取ったのがティファニーブルー。ティファニーブルーは緑よりも無機的で青よりも芸がある。

 

子供の頃、飴=キャンディというのは早い段階で覚えていたが、ねじった包み紙に入ったあの飴ではなく、ぐるぐると巻かれて見た目にも楽しい、まるでファンシー雑貨のようなあの飴のこともキャンディと呼ぶことに痺れた。飴には広がりがないけど、「キャンディ」という言葉が飴玉もロリポップのことも表しているのは無性にわくわくしたものだ。

 

大阪では砂糖水のことを冷やし飴というらしい。飴といえば固形や半固形が相場なのに、完全な液体とは、子供の私は虜になっていただろう。

 

この前人と話していて、私はエンタメに関する知識に疎すぎるなと思った。流行った映画やドラマ、皆プレイしてきたゲーム、一話は読んだことのあるような漫画も一切読んできていない。芸能人も知らない。タレント名鑑っていくらするのかな。日本タレント名鑑2023がメルカリで2,300円。2023年以降に一般的になった芸能人なんて数えるほどしかいないはずだから、何の問題もない。明日買います。