ネットニュースとかを見ていると、しばしば漫画のサンプルみたいなのが流れてきますよね。
最近流れてきた中で目を引いたのが、
もしもわが子が取り違え子だったら
という漫画です。
ちゃんと書籍を読んだわけではないので、あくまでもサンプルを見ただけではあるのですが、不妊治療をした二組のカップル(赤の他人)の受精卵が病院の手違いで取り違えていたことが判明して、、、みたいな内容です。
受精卵から、というのは初めて見たかもしれませんが、新生児の取り違えみたいな物語は何度か触れたことがありますね。
タイトルは忘れましたが、福山雅治の映画にもあったような、、、。
我が子だと思って育てていたら、実は血が繋がっていなかった。
ショッキングな話ですし、あってはならないことだとは思うのですが、こういう物語になったときに必ず題材になるのが「子どもを交換するか否か」です。
これがどうしても理解できないんです。
産まれたばかりならともかく、改めて交換、、、なんて自分の立場だったらそもそも考えつくのかなあ、と。
血を分けた子どもだと思ってたら血が繋がってなかったなんて! と憤る気持ちはもちろん分かりますが、じゃあそれで「自分の子ではない」なんて思うんですかね。
産まれてから数年間、自分達が育てた子どもは紛れもなく自分達の子どもですし、同時に他人の元で育てられた子どもは、もうそれは他人の子以外の何者でもないと思うんですよね。
たとえ自分に瓜二つの子どもと対面しても、何の愛着も感じない気がします。
そも、私があまり血縁というものにさほどの重きを置いていません。
私の母方の祖父は、私と血が繋がっていませんでしたが実の孫以上に可愛がってくれました。
精神的にも金銭的にも、です。
それは、とりもなおさず私が産まれたときから祖父と孫として接していたからであり、この中で育まれた関係性だからだと思います。
なので、血が繋がった子どもを改めて引き取って育てよう! という考えに至る思考が全く理解できません。
じゃあ何年もの間育ててきたその子どものことを愛してなかったってことじゃないの? と思ってしまいます。
実際にその場面に遭遇したことがないので想像しか出来ませんが、正直なところその考えだけでも割と不快です。
血縁が大事、関係性が大事、人それぞれではありますが、私には理解できないなあ、という話でした。
あくまでも私の考えです。特に落ちはありません。