こんな記事を見掛けました。

「地頭」

ここ15年くらいですっかり定着した感があるフレーズですね。少なくとも私が若い頃はあんまり聞いたことが無い言葉でした。

だれが言い出したかは分かりませんが、かなり素晴らしいネーミングだと思います。初めて聞いても意味がすっと分かりましたし。

記憶力がいい、とか理解が早い、とかそういう元々持っている頭の良さ的な意味で使われる言葉ですね。


ここ最近、学力は遺伝でほぼ決まる、、、という意見を良く耳にするようになりました。

つまりは、この「地頭」の良さが遺伝によって左右され、かつこの「地頭」の良さで学力というのは大体決まってくる、、、というような話です。

そして、中学受験である程度以上を目指すならこの「地頭」の良さは必須だと良く言われます。

この件について、今回は私見を述べてみようかな思います。(あくまでも一パンダの見解です)



まず、生まれつき勉強に向いている・向いていないがあるかどうかで言えば、それはあるに決まってます。

それは記憶力だったり理解力だったり、ひとところにじっとして勉強に励める才能だったりと色々あるかと思いますが、そこに個人差があることは誰も異論はないと思います。

そしてこれが遺伝なのか、で言えばそれはきっと遺伝なのでしょう。
生まれつきのもの、というのは基本的には遺伝に左右されるものですから。

だから、高学歴の親に産まれた子は高学歴になりやすい、、、傾向があるというのは腑に落ちるはなしです。

才能があっても伸ばさないと意味がないので、プラス高学歴の親であれば環境面でも優位ということも多分に関係するかと思いますが。



さて、問題は中学受験にこの地頭の良さが必須なのか、という話です。

別に中学受験に限らず、どの受験においても地頭は必要というか重要だとは思いますが、努力と才能のウェイトが占める割合が中学受験では才能の方が大きい=努力でどうにもならないケースがある、ということだと解釈しています。




この意見について、私は常々引っ掛かっています。




努力でどうにもならないケースがある、ということに異論を挟むつもりはありません。
ただ、それが地頭の良さかと言うとそうではないと思うのです。





中学受験は、11歳~12歳という年齢で受験をします。

ピアジェというスイスの心理学者が提唱した「認知的発達段階論」においては、丁度このくらいの年齢以降に、認知発達の最終段階である形式的操作期を迎えるとされています。

この形式的操作期は、抽象的思考、即ち具体から本質を抜き出す=抽象化することができるようになるとされている期間です。

中学受験において、抽象的思考というのは非常に重要なファクターです。この思考が出来ないと、具体からしか考えることが出来ないために、特に算数において致命的に不利になりますし、その他の科目においても、習ったことが点でしか理解できず、線となって繋がらないなど、所謂「理解が浅い」状態になります。



という具合に、非常に大事な要素なのですが、問題は中学受験をする年齢帯ではそもそもこの発達段階に至っていない子が相当数いるということです。

形式的操作期というのは、よく、大人と同じような考え方が出来るようになる期間と言われます。

この段階に至った子と、そうでない子(具体的操作期)では、文字通り大人と子どもの差があるわけです。





さて、本当に中学受験は「地頭の良し悪し」で決まると言っていいのでしょうか?

私は違うと思います。

一握りの「大人と同じ思考が出来る」子と、「まだ子どもの考え方しか出来ない」子が同じ土俵で戦えるわけがないからです。

極論、誕生日が3月というだけで相当不利なわけで。



だからこそ、中学受験は難しいわけです。
どんなに勉強しても全く理解できない、というのが普通にあるからです。

なので中学受験を経験すると高校受験が簡単に思える、というのは当たり前の話なんですね。

発達というどうしようもないことに左右されるウェイトが中受ではあまりにも大きすぎることに加えて、勉強に対するアドバンテージが周囲よりもある状態からスタートするのですから。

なので、中学受験で偏差値の高い学校に行った子の方が秀でている=中学受験の方が凄いんだ、という意見には疑問符がつきます。

意見自体は、日本国憲法で保障された思想良心の自由に基づき尊重されるべきですが、余り声高にアピールされると、たまたま早熟な子が産まれただけじゃねえの? なんて思ったりはします。 ※個人的な見解です











なんか話が変な方向に行きましたが、私が言いたかったのは中学受験は発達というどうしようもないことに左右されるウェイトが大きく、それは「地頭」とはちょっと違うんじゃないの? という話でした。




(追記)誤解のないように追記しますが、中学受験が発達の早い遅いにだけ左右される、と言っているわけではないんです。

特にトップオブトップの学校に合格するような子は、発達に加えてやはり勉強の才にも恵まれている(=地頭が良い)のは確かだと思います。

ただ、そもそもその段階に至っていないケースが往々にしてある年齢なので、中学受験が上手く行かなかったからといって「地頭」が悪い、には繋がらないということを言いたかったわけです。

ものすごく良い地頭を持っていたとしても、それが活かせる発達段階に達していなければどうにもならないわけでして。