パリの 底辺の公立学校で、指導困難な生徒と先生が織り成す感動のヒュー・・・とまで書いたが、これはちと違う。先生が生徒を怒りのあまり「娼婦」と呼んでしまうし、他の教師が職員室で生徒の悪態を吐き・・・と現実味があってよい。先生だって人間なのだし、何をされても生徒を慈悲の心で包むことなんてできない。当然、退学させたい児童も出てくる。それは日本でも同じなのだが、公立学校に退学制度はない。もし、日本に退学制度が導入されたら。。。その手続きが毎日のように繰り返されてしまい、教師が疲労困憊するだろうな。


荒れてる学校に勤めている教師、PTAの方々にぜひおすすめしたい作品である。

あるメッセージ性を帯びた情報に接することと、それに含まれたメッセージに同意することは別問題である。

情報の受け取り手がそれを鵜呑みにせず、自分の思索を深める一材料にするべきだ。この土壌がはぐくまれていない日本は、映画「靖国」「ザ・コーヴ」などの上映中止を容認する土壌を生み出してしまうのだろう。

ゆえに、上映中止に私も反対する。


網の中で逃げ惑ういるかにもりを突き刺し、血が噴出す。入り江が赤く染まる。いるかたちの悲痛な叫び声が見るものの心を突き刺す。残酷な漁のシーンに、私は涙が止まらなかった。

しかし、私は「いるかを食べてはいけない。」「この映画を上映禁止にするべきだ。」とは思えなかった。

映画においているかや鯨の漁に反対する理由は、以下の通りであった。

・人間と同等あるいはそれ以上の知的な動物である。それゆえ人間との人格的な交流が可能である。

・食物連鎖ピラミッドの頂点にある鯨類(いるかを含む)は、多量の水銀を含んでいるので、食肉は危険だ。

・日本は世界中の魚を乱獲している。日本は「鯨やいるかがいるから、世界中の漁獲高が減っている。」と国際捕鯨委員会で主張している。しかしこれには根拠がない。

日本人、いや、捕鯨に反対する人々の一体どれだけが、動物を屠る現場を見たことがあるだろうか。その現場は残酷かもしれない。だからといって殺すこと・食べることに反対できようか?動物の命を絶つ仕事に携わる人々を「穢れた犯罪者だ。」と断定できようか?

われわれは尊い命を殺し、食べて、神様に生かしていただいているのである。

この映画を見たすべての人が、製作者の思想を鵜呑みにしたであろうか?私はそうは思わない。少なくとも私は、

「わたしたち人間と友達にもなれるいるかを、苦しませて死なせた。食べるときは、そのことの重みをしっかり噛み締めながら、硬い肉をしっかりかんで、生きていこう。」と思った。