善川三朗編ソクラテスの霊言―知的世界に霊的光明をを読んだ。



 ギリシャで「知」を説いて、そして知だけでは駄目だとなれば、今度はイスラエルの地で「愛」を説いている。
また中国の地において、日本において「敬」を説いたら、その”敬”だけでは駄目だということになると、今度はインドの地で「慈悲」を説いている。
このように何かがあっても、その反対のもの、その対照的なものも出てくる。そして対立するものがあるのではないのだという形で、さらにそれを統合し、発展していくものが出てくるのである。
あなた方が現在あるのも、釈迦の仏教があり、イエスのキリスト教があり、孔子の儒教があり、そしてまた私達の哲学があるからこそ、あなた方の現在があるのです。

 このようにすべてのものが発展的に進んできているのです、そこで今の時代においても新たなものを打ち出していくでしょう。これもまた、これと違ったものがやがて出てきます。
そしてそれを統合するものが出てくるのです。こういった運動形式が何時の時代においてもとられていくのです。
いわばあなた方は、正、反、合をなすために生まれてきているということです。


時系列では、紀元前5世紀頃に釈迦が慈悲を説いて500年後にイエスのキリスト教が説かれている。
ソクラテスも470~399B.C.なのでのソクラテスが哲学を説いたのとブッダでは、ブッダの方が先となる。
仏教の流布となるとアショカ王の時代が紀元前3世紀で、後年ということにはなる。

孔子(551~479.B.C.)は「礼」「仁」、老子(5C~4C.B.C.)は「無為自然」を説いたとされているので
「敬」の教えというのは、何をさすのか疑問です。どなたか教えてください。

些末な事項で横道にそれるのでなく、ソクラテスやプラトン、アリストテレスの西洋の哲学や知の流れが現在の世界の思想・宗教の根底に流れているのであり大本の『神』からのそれぞれの分流としての仏教、キリスト教、儒教、ギリシャ哲学があるという思想が重要である。