茂木健一郎著脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか
を読んだ。

クオリアという言葉は、このあたりからよく使われるようになった模様。



 クオリアとはまさに『言葉では表現しきれないもの』だから!
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 「赤」の「赤らしさ」を味わうためには、それに「赤」というラベルをつけることによって満足してしまてはならない。
「赤」という原始的な感覚を、あなたの中で、ゆっくりと共鳴させて欲しいのだ。そもそも、
この原始的な感覚を過不足なく表すようなシンボルがあるかどうか、考えて欲しいのだ。
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 クオリアは、私たちがそれを通して外界を把握する様々な感覚の、最も顕著な、鮮烈な性質なのである。



 クオリアって『質感』なのね。



 脳の作動原理は、ニューロンの発火現象=アクション・ポテンシャルの生成だ。
 私たちの脳の中には、ニューロンのネットワークがある。そして、ひとつひとつのニューロンは、
外界からの刺激に応じて、あるいは私たちの注意や、思考の過程に対応してそれぞれ独自のパターンで発火する。
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 こうして、お互いにシナプス結合で結ばれたニューロンは、影響しあいながら、発火の時空間のパターンをつくりあげていく。



 自由意志=自然法則の非決定性
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 量子力学に基づく自由意志は、アンサンブル限定のついた「不完全な」自由意志である。
 アンサンブル限定のついた自由意志は、本来的な「自由」であるとはいえない。

 『個々のあなたの行動は自由だが、アンサンブルとしてのあなたの行動はあらかじめ決定されている。』
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 『 自由意志は存在しない。』
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 かぎになるのは、やはり時間の問題だ。


この時点の論考では、脳のメカニズムの解明では、結局意識や心の本質までは届かなかったようだ。
はっきり『霊』について切り込んでゆけばおもしろいと思うのだけれど。

例えばいくらコンピュータを観察、測定しても観測データは採れても、
ソフトウェアを切り出せないだろうが、
それを脳についてやっても同様だろう。



この世界を奥で統べているものを、深く見極めて、そこの働くすべての力と種子をこの目で見定めるのだ。
 ゲーテ『ファウスト』第一部


脳とクオリアでの切り口で、プラトンのいう善のイデアの高みはどうやって説明できるのか聞いてみたい。