額田王の話(7/20)のつづき

額田王は万葉集で有名な歌人であるが、大海人皇子(後の天武天皇)との間に十市(とおち)皇子をもうけるもその後、天智天皇(大海人皇子の兄)の妃になる。そんなことがあるのか、あったのだ。

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、中臣鎌足と共に蘇我入鹿をクーデターで殺害した大化改心の中心人物でありその後、即位して天智天皇となったのは有名な話。その頃朝鮮半島の白村江の戦いでは日本(まだ倭国)が663年に破れたので、そのあとの唐・新羅による報復と侵攻に備え、太宰府の水城や西日本各地の古代山城などの防衛施設を築いたりした時代である。そして667年に天智天皇は都を難波から内陸の大津京に移して、668年に即位している。

そして670年には我が国最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成させている。

天智天皇は672年に急死し、皇位継承をめぐって壬申の乱が起き吉野に出家していた弟・大海人皇子(天武天皇)が天智の子大友皇子に勝利して即位したのだ。

この後

内政では、天武の死後も天武の進めた路線が継承され、それまでの倭国(ヤマト政権)は、「日本」という国家へと生まれ変わることとなった。


「日本」の起源は、この700年あたりとなるようだ。それ以前は「倭国」。

それにしても 中国から鑑真さん(688~763)が来日するのに大変苦労したのは、これより後なのに、国内で大化の改新、壬申の乱など騒々しい時に、かたや朝鮮半島に出陣し白村江で戦っていたり、万葉集を歌ったり、奈良時代って活発だっだのだ。