『らしい』ことが言えたとき──
誰が求めたわけでもなく、やめても誰も惜しまないであろうTwitterアカウントをやってます。ROM専ではなく発言も重ねてもう6年ほどにもなりましょうか。
飽きっぽい方であることは自覚してますので、よく続くものだなと改めて思います。
メインとして妻への愛や趣味のアイドル追っかけ、習い事、仕事への怨嗟の声など織り混ぜてお届けしており、♥️をもらったり同好の士と会話したり、それはそれで楽しんでやってます。
──それが、些細な幸せ?
違います。それは『楽しさ』であって幸せとは違います。
上に書いたような『Twitterっぽいこと』ではなく、自分の中から湧いて出てきた言葉が書ける時があります。
湧くと言うとフワッと浮かんでくるイメージなので『漏れ出る』の方が正しいかも。引っ張ってないのにズルリと出てくる時があります。
脈絡もなにもあったもんじゃなく、下書きも推敲もなにもなしに書くので大抵反応がすごく薄い。自分しか意味わかってないですから。
でもそれが自分の中ではものすごく大事な言葉になってて、何度も読み返しては『今日イチ♥️少ないけど今日イチツイートだな』と噛みしめます。それがささやかながらとても幸せだと感じます。
