自分で勝手に決めていい
やるべき、という考え方はどうしても抵抗が起きる
だって本当はやりたくない
誰かが言ったからとか、そんな理由
自分ごとになってない
だとしたら・・・
学びすぎると、自分がこうしたいという欲求よりも
どうすればいいのか、と答えを探すような考え方をしてしまう
正解に自分を合わせていくんだ
どうしたらいいんだろうーどうしたらうまくいくんだろう
という自分の思考に気付いて
どうしたいんだろうと投げかけ始めた
最初は全く、うんともすんとも答えない
でも寝起きとか、ポチポチと回線がつながっていくような感覚が増え始める
エビデンスなんていらない
勝手に自分で決めていい
やりたくないことだけど、やらなければいけないこと
なら、やりたくないけどで終わらせず
それをしたらこうなると勝手に決めてしまう
好きなように
昔、なぜ以前より太るようになったんだろう、と考えたことがあった
そしたら、悲しいことがあると痩せてしまう
だから太っておかないと、なんて
悲しいことが起こる前提でいたことに気付いた
とんでもない思い込みだ
これも自分で勝手に決めていたこと
気付いて唖然とした
悲しいことがある、なんて決めなくていい
太ったら悲しいことの前、なんて、何の根拠もない
気付いて馬鹿らしくなって、やーめた、と思ったら
それからはそんな現象もなくなった
ご飯作るの、めんどくさい
でも作ったらきれいになる
だったらやろう!になった
きっとこれもそのうち、ホメオスタシスが働いて
戻そうとするだろう
疑問が湧いたり、馬鹿らしくなったりするだろう
最近それも織り込み済みだ
何か始めたら必ず起きる
それがわかったから、持ちこたえられるようになった
もしかしたら、それさえ起きなくなる時が来るのかもしれない