昔、ヴィバッサナー瞑想を見よう見まねでやったところ
思考が静まりすぐさま楽になるのを感じたことがある
思考ではなく感覚に注意を向けるやり方だ
感じると考えるは一緒には出来ない
これもやってみないとわからないし、私はわかるまでやってみなかった
楽になったとは思ったけど、結局その時はそんなに切羽詰まっていなかったんだろうな
それに、一度知識として知っているものは重要視しない傾向がある
が、何度も見る言葉っていうのは
知っているで終わらせるものではなく
それが重要だということだ
人間って楽をしたいから、ほかに方法があったりなんとかいけそうなときには
いくらそれがいいとわかっていても
それほど真剣になれないようだ
それに新しいものに目移りもする
感覚に注意を向けることに慣れてくると
自然に浮かんでくる言葉がある
今までとは違う建設的な思考
なんだか昔の元気を取り戻した感じ
そうそう
子供のころはこんな感じだったのかも
少しできると飽きてほかのことをしたがる私の癖
今回はここをやめて、もっと深めてみたいと思っている
