2016年11月7日にすい臓がんの手術が無事に終わりました。術後はICUに入っていましたが、11月10日に一般病棟に移り、今のところ大きな問題はありません。少し間が空いたので前回の記事から現在までの経緯をまとめました。
11月1日
妹(下)のLINEより
「今日のママは入院前と変わらないくらいよく喋ってたよ。もちろんご飯は残さず食べて、病院内もけっこう歩いたりも出来て安心した。ボディークリーム、ハンドクリーム、お顔用美容液、ホホバオイルを持参してスプレーとiPadminiもおいてきた。でも病室内にWi-FiがなくてiPadminiは使えなかったよ。」
「今日は明日も仕事だし、お母さんのとこ行かない予定だったんだけど、明日、病室を移ることになって、荷物を取りに来てほしいって電話があったから行ってきたよ。今の内科病棟から外科病棟に移動になるんだって。今後は外科の先生に担当も移るんだって。いい先生だといけどね。」
「今日は首に点滴の針をうつしたから首が動かしづらいとは言ってたけど、元気な様子だったよ。」
11月2日
今日から外科病棟に移っていよいよ手術に向けての準備が始まった。妹が言うには外科病棟の看護師さんは少し嫌な感じとのことだけど、今までの内科病棟の看護師さんが優しかったので余計にそう感じるのだろう。
妹(上)のLINEより
「手術を控えた大事な時期なのに、向かいのベッドの人がすごい咳してて... そんな配慮もないのが嫌な印象。風邪でも移って手術に影響したらどうしようって家族はハラハラなのに... せめて手術前の大事な時期だけは配慮してくれるべきじゃないのかなって。お母さんも雰囲気を感じ取ってか、昨日は少し元気がないというか、気を使ってるというか... 科でこんなに雰囲気が違うんだね。」
11月3日
妹(下)のLINEより
「ママに会ってきたよ。確かに前に比べて少し元気がなかったかな。昼間、胃に不快感があったと言ってた。でも沢山おしゃべりできたよ。談話室で話した後、ちょっとだけ屋上に出た。その後は自販機で飲み物を買ってベンチでお話ししたよ。今日の担当看護師さんは良い人だった。それと咳がひどい人は明日退院するって。」
「私が帰るときは少し寂しそうだった。お兄ちゃんとお姉ちゃんは日曜日に、到着するんだっけ?みんなの顔を見れば喜ぶよ♪」
妹のLINEに病院の屋上ベンチでピースサインで移る母は少し寂し気に微笑んでいるようだった。
11月4日
11月7日の手術に合わせて5日の夜行バスで東京へ向かうことにした。姉も6日の午後から来てくれることになった。ただ、仕事があるのでその日のうちに帰らないといけないらしい。どうしても手術前に一度会っておきたいのだろう。僕もそうなのだが。
妹(下)のLINEより
「ママからのメッセージ
お兄ちゃんへ
忙しいのに来てくれることになってありがとう。
○○(姉)へ
いろいろ気遣いしてくれてありがとう。待ってるね。
二人とも忙しいのに来てくれてありがとう。
お母さんより」
ここで、うちの姉弟について書いておきます。妹とかお兄ちゃんとか姉とか出てきますがうちは姉、自分、妹(上)、妹(下)という4人姉弟です。このブログを書いているのが自分(兄)になります。姉と自分は愛知に住んでいて妹二人は東京に住んでいます。最初に書いておくべきでしたがこれで少しは理解しやすくなるかな?
今日は手術前に先生からの話があり、妹二人が話を聞いてきてくれた。内容的には母のガンは膵頭部ガンで「膵頭十二指腸切除術」というすい臓の頭の部分のほか、十二指腸や胆のう、胃の一部を切除して小腸につなぐ手術をしますということだった。話の内容は妹がスマホにすべて録音してくれたので詳しく聞くことができた。先生から重要な話があるときは録音しておくとよい。
11月6日
11月5日の日中に用事を済ませて夜行バスで東京に向かう。11月6日の朝6時くらいに東京に到着し妹(下)のマンションに寄ったあとで一人で病院へ。11時過ぎに病院へ到着し病室へ入ると母は元気そうに笑顔で迎えてくれた。首から刺した点滴が痛々しいが今日は体調もよく普通にしているとまるでどこも悪くないような気がしてくる。実際今は痛みもないし自覚症状もないから本音でいえば手術をすることで完全な病人になってしまうことに戸惑いを感じてしまう。
母ととりとめもない話をしているうちに昼食の時間になり、食事をしながらもう少し話をした。母は「ブロッコリーは毎回出てくるのできっと体にいいんだね」とか、「普段は食べないにんじんなんかも病院だとごはんの量が少ないから食べるんだよ」などと話しながらおいしそうに食べていた。
母との話の中で病気の話になったとき、「お母さんは延命治療はして欲しくない。だから抗がん剤はいいからね。病院じゃなくて家に帰って過ごしたい。」といった内容の話をした。母の言った延命治療というものが何を指すのか詳しくは聞かなかったが、たぶん苦しい思いをしてまで生きているよりも長く生きられなくてもいいから家に帰って普通に暮らしたいという意味だったのだろう。しかし、これからしようとしている手術とその後の抗がん剤治療はまさしく延命治療そのものであり、苦しくつらい思いを母に強いるであろう。
もちろん何もしなければ数ヶ月という早い期間で「普通の生活」ができなくなることは医者が言うように明らかであるし、がんによる症状や痛みに襲われることは避けられない。かと言って手術をして抗がん剤治療をすることが本当にいちばんよい選択なのかは今でも正直迷いがある。母の望むように長くなくてもよいので普通の生活をして死ぬときはあまり苦しい思いをせずに済む選択肢があるのなら迷わずそれを選んであげたかった。
母が昼過ぎからシャワーを浴びる予定があり、13時近くに一旦病院から出て迎えに来てくれた妹(上)と昼食を食べにVOLKSというステーキのお店へ。サラダバーつきのハンバーグを注文。母にもこんな食事を食べさせてあげたいなあ。でも手術をしたらもう食べられないだろうなあなんて考えながら食事を済ませた後、母のアパートにつけるシャワートイレとセンサー付きのLED電球を購入した。
その後、午前中の仕事を終えて強行スケジュールで駆け付けた姉と合流し再び母の病院へ。明日の手術の前にみんなで母を元気づけることができたかな。僕たちも母の元気そうな姿に元気づけられた。
その日の夜、母から届いたメール。
「今日は疲れているのに2回も来てくれてありがとう。早めにゆっくり休んでね。」「今日は2回もお兄ちゃんに会えて すごく嬉しかったよ。おやすみなさい。」
11月7日
手術当日。手術は9時からだが8時半には手術室に入るとのことで妹二人と一緒に病院へ向かう。7時半には着きたかったのだが合流に手間取って病院に到着したのは8時すぎ。病室に行くと母はまだそこにいてくれた。若干緊張しているようにも見えたが体調もよさそうで看護師さんが手術前の確認をテキパキとこなす中で明るくおしゃべりすることができた。
そして8時28分に7階の病室から3階の手術室へみんなで歩いて移動。手術室の自動ドアの窓越しに何度も手を振りながら手術室の奥へと入っていった。手術時間は9時から15時までの6時間。ただ、もしガンの進行が想定以上だった場合、切除を断念して手術を切り上げてしまうこともありえる。大きな手術であり何かあった時のため手術終了まで7階の病室とその横の談話室で待機するよう指示を受けていたので7階で待つこととした。
14時まえに看護師さんから連絡があり手術室へ向かう。うまくいって予定より早く終わったのかな?などと話しながら移動し手術室の中へ。ほどなくして執刀医の先生がきて説明を受ける。どうやら手術の途中で何か問題があったようだ。先生によるとすい臓を切って検査したところ膵管の奥、つまり膵尾部に向かって膵管の中にガンが広がっていたという。当初の検査では膵頭部に18mmほどのガンがあることが想定されていたのだが、それ以外に膵管の中にもガンが広がっていたというのだ。そしてこのまま膵頭部を切除して残りの部分を残すとガンが残ってしまい手術の意味がなくなってしまうのですい臓全摘出に切り替えたいという。
予想していなかった展開のうえすぐに決断しなければいけない状況。先生の説明もあまり詳しくは聞けず判断材料も乏しい中で3人で出した答えは「お願いします」だった。手術後の生活に不安を抱えながらも手術室をあとにして7階へ戻った。
17時過ぎ、窓の外の景色が夕闇に包まれた頃ついに手術は終了した。母はそのまま手術室横のICUへ移り僕たちは手術室奥のカンファレンスルームで先生から切除した臓器を見せてもらいながら簡単に病巣の説明を受けた。今回の手術で切除したのはすい臓全部と脾臓、胆のう、十二指腸と胃の一部で胃と十二指腸はまな板状の板の上に広げられてピン止めされ、胆のうとすい臓、脾臓はトレーの中に入れられていた。