2017年9月1日22時45分 母は68年の生涯を閉じました。手術から約10ヶ月でした。

 

7月末に再発が判明し余命半年と診断されたのですがその後急激に状態が悪化し、8月いっぱい痛みや苦しみと闘い9月1日の夜についに天国へと旅立ちました。8月12日に入院してからは姉弟(妹)みんなで24時間付き添い、仕事で来られなかった姉を除いて3人で最期を看取ることができました。

 

入院する少し前からは会話もできない状態でしっかりとお別れもできなかったのですが、亡くなるまでに2回程ですが意識がぼんやりと戻った時に「お兄ちゃんがいてくれてうれしい、うれしいよぉ」と泣きながら力なく抱き着いてきてくれた母に「僕もうれしいよお母さん。大丈夫だからね」と言って抱きしめたのが母と交わした最後の言葉になりました。

 

母親としては決して満点とは言えない母でしたが、世界中の誰よりも僕たち姉弟(妹)のことを想って支えてくれた最高の母でした。日々の生活に追われて十分に報いることができなかったことがとても悔やまれますが、すべてを認めて褒めてくれる母の優しさに今でも救われている気がします。

 

お母さん今まで本当にありがとう。いつまでも大好きだよ。

 

 

 

 

 

ついに恐れていたことが現実になりました。5月に抗がん剤を始めた母でしたが、2クール目の途中で副作用に耐えられず中止。その頃から胃痛と食欲不振が続いていました。母の世話をしてくれている妹の話では好きなものばかり食べていた暴食が原因とのことでしたが、あまりに長期間続くのと目に見えて弱ってきたため今日病院で血液検査をしてもらったところ腫瘍マーカーの数値が再発と思われるレベルまで上がっていたそうです。医者からも99%再発と思って間違いないと言われたそうです。

 

今日はそのまま入院し胃痛と食後の腹痛、背中にも痛みがあるので緩和ケアの先生にモルヒネを投与してもらい痛みは和らぎました。本人は少ししたらよくなるとかまた手術して治るとか言っているらしいのですがもうそれは期待できないでしょう。

 

望むべくはなるべく早く退院させて少しでも長く自宅にいさせてあげて可能であればそのまま最期まで入院させずに看取ってあげたい。ただ最後は痛みとの闘いになってくると思うので入院しての緩和治療が必要になってくると思う。母は入院することをとても嫌がっていたのでできるだけ希望をかなえてあげたいのだが・・・。

 

昨年の11月の手術を決断する際、このまま手術せずに少しでも普通の生活を最期まで続けさせてあげることがいちばんなのではないかと悩みました。手術後のいっときは調子もよくなって手術してよかったと思えたことも確かです。ただ、今考えると結局は同じ結果となってしまい、あの決断がよかったのかまたわからなくなってしまいました。

 

手術をして体力が落ちたことで家にこもりがちになってしまった母ですが、再発してしまった今となっては手術をせずに残りの時間を最大限自分らしく過ごした方が幸せだったのではないかとも思えます。でも少なくとも再発が判明した今日までは「すい臓がんから解放された」「自分は助かったんだ」と思えて前向きな気持ちを持てたことも事実だと思います。

 

母に残された時間はわずかです。遠くてすぐには会いに行けないのが辛いですがやれるだけのことをやってあげたいと思います。

 

 

 

 

 

手術から6ヶ月目の2017年5月17日に再発がないかの検査をしました。結果は「異常なし」。退院後にアパートで一人暮らしのため引きこもりがちで体力があまり戻ってないこと以外は体調や食欲も良好で検査結果にも納得できる状態です。

 

この結果を受けて明日から抗がん剤(TS-1)の投薬を始めることになりました。今までは血糖値が安定しなかったのでできなかったらしいのですが、医者の先生から投薬の指示が出たようです。副作用として倦怠感、目への影響、色素沈着、口内炎、若干の脱毛があるとの説明。スケジュールは4週間投与し2週間休みの6週間を1サイクルとしてそれを1年間続けます。

 

今のところ母はやる気になってくれているので願わくば大きな副作用が出ずに続けていって次の8月の検査でも良好な結果が出てほしい。そしてそれからも・・・

 

この検査のあとすぐに退院後初めて母と妹(と子供)と自分で少し遠くまで遊びに行ってきました。母の希望で埼玉県川越市にある小江戸の町並みと菓子屋横丁を見てきました。5月とはいえ30度近い気温で人も多くて心配でしたが途中で体調が悪くなることもなく楽しむことができました。さすがに次の日は疲れが出たようですが多めに寝て回復したようです。次はもう少し人が少なくてのんびりできるところに連れて行ってあげようと思います。

 

 

 

 

 

ひさしぶりの書き込みになります。昨年の11月7日に手術をした母は12月10日に無事退院しました。手術後はせん妄がひどくてとくに上の妹に対してあたりが強かったのですが、退院してからは元の状態に戻っています。

 

2017年5月2日現在の体調はすこぶる良いようで体の痛みもないみたいです。食欲もあってコンビニや弁当屋で買ってきたものを食べていると言っていました。今も週に2回訪問看護をしてもらっています。今月の17日にがんの再発がないか検査をして23日に結果が出るそうです。

 

手術から間もなく6か月ですが(電話で聞いている限り)術後の経過は順調なようです。大手術でしたがここまで回復できたことは本当にうれしいです。1月に会って以来顔を見ていないのですが電話で元気そうな声を聞いていると手術をして本当に良かったと思います。

2016年11月7日にすい臓がんの手術が無事に終わりました。術後はICUに入っていましたが、11月10日に一般病棟に移り、今のところ大きな問題はありません。少し間が空いたので前回の記事から現在までの経緯をまとめました。

 

 

11月1日

 

妹(下)のLINEより

「今日のママは入院前と変わらないくらいよく喋ってたよ。もちろんご飯は残さず食べて、病院内もけっこう歩いたりも出来て安心した。ボディークリーム、ハンドクリーム、お顔用美容液、ホホバオイルを持参してスプレーとiPadminiもおいてきた。でも病室内にWi-FiがなくてiPadminiは使えなかったよ。」

「今日は明日も仕事だし、お母さんのとこ行かない予定だったんだけど、明日、病室を移ることになって、荷物を取りに来てほしいって電話があったから行ってきたよ。今の内科病棟から外科病棟に移動になるんだって。今後は外科の先生に担当も移るんだって。いい先生だといけどね。」

「今日は首に点滴の針をうつしたから首が動かしづらいとは言ってたけど、元気な様子だったよ。」

 

 

11月2日

 

今日から外科病棟に移っていよいよ手術に向けての準備が始まった。妹が言うには外科病棟の看護師さんは少し嫌な感じとのことだけど、今までの内科病棟の看護師さんが優しかったので余計にそう感じるのだろう。

 

妹(上)のLINEより

「手術を控えた大事な時期なのに、向かいのベッドの人がすごい咳してて... そんな配慮もないのが嫌な印象。風邪でも移って手術に影響したらどうしようって家族はハラハラなのに... せめて手術前の大事な時期だけは配慮してくれるべきじゃないのかなって。お母さんも雰囲気を感じ取ってか、昨日は少し元気がないというか、気を使ってるというか... 科でこんなに雰囲気が違うんだね。」

 

 

11月3日

 

妹(下)のLINEより

「ママに会ってきたよ。確かに前に比べて少し元気がなかったかな。昼間、胃に不快感があったと言ってた。でも沢山おしゃべりできたよ。談話室で話した後、ちょっとだけ屋上に出た。その後は自販機で飲み物を買ってベンチでお話ししたよ。今日の担当看護師さんは良い人だった。それと咳がひどい人は明日退院するって。」

「私が帰るときは少し寂しそうだった。お兄ちゃんとお姉ちゃんは日曜日に、到着するんだっけ?みんなの顔を見れば喜ぶよ♪」

 

妹のLINEに病院の屋上ベンチでピースサインで移る母は少し寂し気に微笑んでいるようだった。

 

 

11月4日

 

11月7日の手術に合わせて5日の夜行バスで東京へ向かうことにした。姉も6日の午後から来てくれることになった。ただ、仕事があるのでその日のうちに帰らないといけないらしい。どうしても手術前に一度会っておきたいのだろう。僕もそうなのだが。

 

妹(下)のLINEより

「ママからのメッセージ

お兄ちゃんへ

忙しいのに来てくれることになってありがとう。

○○(姉)へ

いろいろ気遣いしてくれてありがとう。待ってるね。

 

二人とも忙しいのに来てくれてありがとう。

 

お母さんより」

 

ここで、うちの姉弟について書いておきます。妹とかお兄ちゃんとか姉とか出てきますがうちは姉、自分、妹(上)、妹(下)という4人姉弟です。このブログを書いているのが自分(兄)になります。姉と自分は愛知に住んでいて妹二人は東京に住んでいます。最初に書いておくべきでしたがこれで少しは理解しやすくなるかな?

 

今日は手術前に先生からの話があり、妹二人が話を聞いてきてくれた。内容的には母のガンは膵頭部ガンで「膵頭十二指腸切除術」というすい臓の頭の部分のほか、十二指腸や胆のう、胃の一部を切除して小腸につなぐ手術をしますということだった。話の内容は妹がスマホにすべて録音してくれたので詳しく聞くことができた。先生から重要な話があるときは録音しておくとよい。

 

 

11月6日

 

11月5日の日中に用事を済ませて夜行バスで東京に向かう。11月6日の朝6時くらいに東京に到着し妹(下)のマンションに寄ったあとで一人で病院へ。11時過ぎに病院へ到着し病室へ入ると母は元気そうに笑顔で迎えてくれた。首から刺した点滴が痛々しいが今日は体調もよく普通にしているとまるでどこも悪くないような気がしてくる。実際今は痛みもないし自覚症状もないから本音でいえば手術をすることで完全な病人になってしまうことに戸惑いを感じてしまう。

 

母ととりとめもない話をしているうちに昼食の時間になり、食事をしながらもう少し話をした。母は「ブロッコリーは毎回出てくるのできっと体にいいんだね」とか、「普段は食べないにんじんなんかも病院だとごはんの量が少ないから食べるんだよ」などと話しながらおいしそうに食べていた。

 

母との話の中で病気の話になったとき、「お母さんは延命治療はして欲しくない。だから抗がん剤はいいからね。病院じゃなくて家に帰って過ごしたい。」といった内容の話をした。母の言った延命治療というものが何を指すのか詳しくは聞かなかったが、たぶん苦しい思いをしてまで生きているよりも長く生きられなくてもいいから家に帰って普通に暮らしたいという意味だったのだろう。しかし、これからしようとしている手術とその後の抗がん剤治療はまさしく延命治療そのものであり、苦しくつらい思いを母に強いるであろう。

 

もちろん何もしなければ数ヶ月という早い期間で「普通の生活」ができなくなることは医者が言うように明らかであるし、がんによる症状や痛みに襲われることは避けられない。かと言って手術をして抗がん剤治療をすることが本当にいちばんよい選択なのかは今でも正直迷いがある。母の望むように長くなくてもよいので普通の生活をして死ぬときはあまり苦しい思いをせずに済む選択肢があるのなら迷わずそれを選んであげたかった。

 

母が昼過ぎからシャワーを浴びる予定があり、13時近くに一旦病院から出て迎えに来てくれた妹(上)と昼食を食べにVOLKSというステーキのお店へ。サラダバーつきのハンバーグを注文。母にもこんな食事を食べさせてあげたいなあ。でも手術をしたらもう食べられないだろうなあなんて考えながら食事を済ませた後、母のアパートにつけるシャワートイレとセンサー付きのLED電球を購入した。

 

その後、午前中の仕事を終えて強行スケジュールで駆け付けた姉と合流し再び母の病院へ。明日の手術の前にみんなで母を元気づけることができたかな。僕たちも母の元気そうな姿に元気づけられた。

 

その日の夜、母から届いたメール。

「今日は疲れているのに2回も来てくれてありがとう。早めにゆっくり休んでね。」「今日は2回もお兄ちゃんに会えて すごく嬉しかったよ。おやすみなさい。」

 

 

11月7日

 

手術当日。手術は9時からだが8時半には手術室に入るとのことで妹二人と一緒に病院へ向かう。7時半には着きたかったのだが合流に手間取って病院に到着したのは8時すぎ。病室に行くと母はまだそこにいてくれた。若干緊張しているようにも見えたが体調もよさそうで看護師さんが手術前の確認をテキパキとこなす中で明るくおしゃべりすることができた。

 

そして8時28分に7階の病室から3階の手術室へみんなで歩いて移動。手術室の自動ドアの窓越しに何度も手を振りながら手術室の奥へと入っていった。手術時間は9時から15時までの6時間。ただ、もしガンの進行が想定以上だった場合、切除を断念して手術を切り上げてしまうこともありえる。大きな手術であり何かあった時のため手術終了まで7階の病室とその横の談話室で待機するよう指示を受けていたので7階で待つこととした。

 

14時まえに看護師さんから連絡があり手術室へ向かう。うまくいって予定より早く終わったのかな?などと話しながら移動し手術室の中へ。ほどなくして執刀医の先生がきて説明を受ける。どうやら手術の途中で何か問題があったようだ。先生によるとすい臓を切って検査したところ膵管の奥、つまり膵尾部に向かって膵管の中にガンが広がっていたという。当初の検査では膵頭部に18mmほどのガンがあることが想定されていたのだが、それ以外に膵管の中にもガンが広がっていたというのだ。そしてこのまま膵頭部を切除して残りの部分を残すとガンが残ってしまい手術の意味がなくなってしまうのですい臓全摘出に切り替えたいという。

 

予想していなかった展開のうえすぐに決断しなければいけない状況。先生の説明もあまり詳しくは聞けず判断材料も乏しい中で3人で出した答えは「お願いします」だった。手術後の生活に不安を抱えながらも手術室をあとにして7階へ戻った。

 

17時過ぎ、窓の外の景色が夕闇に包まれた頃ついに手術は終了した。母はそのまま手術室横のICUへ移り僕たちは手術室奥のカンファレンスルームで先生から切除した臓器を見せてもらいながら簡単に病巣の説明を受けた。今回の手術で切除したのはすい臓全部と脾臓、胆のう、十二指腸と胃の一部で胃と十二指腸はまな板状の板の上に広げられてピン止めされ、胆のうとすい臓、脾臓はトレーの中に入れられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妹のLINEより

 

「今日のお母さんは...

 

今日からご飯が全粥になっておかずも付いた+午前中にシャワーを浴びてさっぱりしたせいもあってか、とても明るい表情だったよ。

 

ただ、今日、体重を計ったら57キロになっていて入院から7キロも痩せていたから、そこはちょっと心配というか気になるかな。

 

たべてないにしても7キロも痩せるっていうのは、どうなんだろう。。

明日は、首に針を刺す処置をするって。そうするとお風呂は入れなくなっちゃうみたい。

 

お母さんはごはんとかお風呂で気持ちが左右されるから元気なくならないといいんだけど。

 

あと、今日は術後の経過についてネットの情報を見せながら解説してきたよ。

 

2週間飲めないし、食べられないってぷらす鼻、お腹、尿道に管を繋がないといけなくて、それがどういう役割かも話したんだけど、そこは少し上の空。前もって、勉強しておくと術後頑張れるかなって思ってね。

 

2週間食べれないことはよ~く伝えといた!」

 

思えば10月12日に検査入院してからまともにご飯を食べれない状態がずっと続いていたので7キロ減っていても不思議ではないんだけど、それだけ体力も落ちてると思うので心配です。急激に痩せたので皮膚がシワシワ、カサカサだそうな。60過ぎてるとはいえ、やはり女性なので精神的にも落ち込んでないか心配になります。

 

 

 

妹のLINEより

 

「お母さん、今日はヨーグルトとバナナを買ってきてってメールがきたから、てっきり先生の許可が出たのかと思ったら、自己判断だったのガーン

 

買っていったんだけど、勝手に食べちゃうといけないから持ち帰ってきたよショボーン

 

余程食べたいんだろうね。。でも、大事な時に勝手な事してもねあせる

 

自分で胃が痛くなるのはお腹が空いてるせいって自己判断して食べようとしちゃうから危ないあせる危ないあせる

 

○○○(妹の妹)も気を付けてね。」

 

早く好きなものを食べさせてあげたい。

2016年10月にすい臓がんと診断された母の病状と治療のこと、日々の様子や健康状態についての記録を残すために今日からブログという形で書いていこうと思います。

 

母は今年の7月で67歳になりました。甘いものや間食が大好きでその結果糖尿病を患っています。また、心房細動の持病があり薬を服用しています。今年の8月に愛知から東京に移って妹のところに身を寄せていたのですが、糖尿病治療のために紹介してもらった病院の検査ですい臓がんと診断されました。まずはブログに記録するにあたって、これまでの経緯をまとめました。

 

 

先生からの説明に基づくこれまでの経緯(2016.10.26記+10.30追記)

 

9/20
糖尿病の食事指導と検査のため入院、MRIでレントゲン技師より膵臓に腫瘍があるのではとの指摘。

 

10/4
退院

 

10/6
消化器内科外来

 

10/12
検査のため入院、ERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)実施、膵管が拡張し詰まっているのが確認できた。ただしワーファリンを服用しているため組織は取れなかった。黄疸の数値が上がっているため胆管に管(ステントではなくチューブ)を入れ胆汁のつまりを解消、組織採取は20日にやることとなった。

 

10/16

姉、自分、妹2人の4人で面会。思っていたよりも元気でしゃべり方も少しゆっくりだがしっかりしゃべれている。こんな状態でも僕のことを気遣って糖尿病の食事療法の本がすごくいいからお兄ちゃんもこれ読んで(食事に気を付けて)ねと言ってプレゼントしてくれた。

 

10/20
再度ERCPで内視鏡を入れ胆管から組織を採取。この検査は母にとって相当辛いらしい。

 

10/22
早朝に吐血、十二指腸乳頭部を焼いて止血を試みたが止まらず。9時過ぎに胆管にステントを入れ止血ができた。今回の出血は胆管の奥の腫瘍からの出血と判断したとのこと(ただし検査が原因であることは明らかなようで、事前の説明で10%程度は今回のようなことが起こることは説明済みと強調していた)

 

今回は輸血をするほどの吐血だったらしく止血できなければ命にかかわる状態だったようだ。

 

10/23
内視鏡で止血できていることを確認。ただし意識が薄くぼーっととしている状態。

 

10/25
意識状態が低い原因を探るためCTで脳を検査するも異常は認められず。

 

10/26
自分と妹2人の3人でK先生から話を聞く。途中でY先生(部長)も参加してくれた。説明の中で10/20に採取した組織の鑑定結果を知らされる。結果、ガンと確定。小さな組織を6つ採取して全てガンとの診断。組織を採取した範囲は胆管の十二指腸乳頭側に近い部分でMRI画像で測ったガンの大きさは18mmくらいとのこと。なお、胆管以外の腫瘍と思われる部分からの組織採取はしていない。

 

なお、意識が薄いことに関して先生の見立てでは痛み止めが潜延?していると思われるとのこと。点滴で元気がなくなることはあるのかという問いには「ないです。ただ、心配しているので脳波を取っている。内視鏡検査の際、胃カメラよりも太いので痛み止めを長く使った」との回答。

 

ある程度話が終わったところで母を呼び、先生から検査の結果ガンであることが分かったということを本人に伝えた。ここ数日ずっと元気がない状態だったので表情の変化や動揺しているようには見えなかったがやはりショックだったと思う。

 

ただ、その後先生から手術に向けての説明を聞いて自分から「やります。がんばります。」と言ってくれた。手術の予定日は11/7で、それまでにあと4つの検査(大腸検査、胃カメラ、血管造影、肺活量検査)が必要と説明があった。今聞きたいことや言いたいことはありますか?との問いに同じ病室の患者の排便時の臭いが辛いと訴えたが、先生からは手術前には病室を移るのでそれまでがまんして欲しいという趣旨の回答だった。

 

10/27
午後から自分と妹2人で病院へ行ったところ意識状態は通常レベルまで回復していた。会話も普通にできて笑顔も見られた。今後の予定がはっきりして目標が持てたのが大きかったのかも知れない。またしばらく会えないので笑顔が見れてほっとした。そういえば、自分のガンが確定したせいかガン保険に入るようやたらと勧めてきた。以前入っていたのだが解約してしまったのでこれを機会にもう一度入ろうかな。

 

帰り際にエレベーターで先生に会ったとき、今日は大腸検査の予定だったが下剤が飲めず中止になりそうだと言われた。結果的には浣腸をしてなんとか検査ができたようで良かった。

 

10/28
胃カメラ検査をして結果は問題なし。大腸検査の結果も問題なかった。今日からしばらくは流動食が食べられるとのこと。ただ、おかゆのような流動食は相当まずいようだ。

 

10/29
様子を見に行った妹から今までで一番元気で話し方も健康な頃と同じくらいになったとの知らせ。美容室に行って髪を染めたいと言っているそうだが手術前で大事な時なのでがまんしてもらう。

 


手術について(先生の説明)

 

手術は7時間程度かかる。長時間のため全身麻酔をし、呼吸も止まる。人工呼吸器を使用するが血管が詰まる恐れもある。手術中はワーファリンをやめるので心房細動により血栓ができて脳梗塞の恐れもある。

 

手術後は合併症がいくつもあり注意が必要。食べると胃腸が動いて出血の恐れがある。退院は手術後1か月程度、それ以上かかることもある。

 


先生への質問

 

手術をせずに必要な処置だけやってなるべく最後まで生活の質を落とさずにいられるような治療はできますか?という質問に対しY先生からは、手術ができるなら手術をすべき。そうでなければ膵炎や転移で亡くなってしまうという回答。手術の目的、目指すところはどんなところですか?という問いには「もちろん完治すること」と言われた。

 

先生の話を聞いた限りでは手術をしたうえで抗がん剤治療で完治を目指すという考え方しかなさそうだった。ガンと闘わずに致命傷に至る症状を抑えながら生活の質を維持して最期を迎えるという選択肢は用意されていない(やってない)という雰囲気だった。

 

ただ、手術という目標ができたことで母の意識がしっかりしてきたように感じる。高齢の母が体力的に手術に耐えられるのか、かえって死期を早めてしまうのではないかという不安もあるが、先の見えない検査入院からの解放(退院)とその先のガンの完治という目標(希望)が持てたことが精神的な支えになるのなら手術という選択が今は最良なのかも知れないと思えた。