母の実家の伯父が先日逝去しました。昨日は告別式に行ってきました。

小さい頃から可愛がってもらいました。
「おじちゃん」って言えなくって「おいちゃん」と言っていた私。今でもおいちゃんと呼んでいました。

保育士になった時からおいちゃんは、私の事を「先生」と呼ぶようになりました。

昨年の今頃にはすい臓癌を患い、私が通っていた産婦人科近くの病院に入院。
元気のないおいちゃんにうーちゃんのエコー写真を持って妊娠報告に行くと大喜び!!
その後良くなって通院になると、産婦人科を通る度に「産まれたらここに来なきゃな」なんて言っていたそうです。

しかし、出産の頃脳梗塞で倒れ半身麻痺になってしまい車の運転が出来なくなり、「早く連れて来いよ」と言われるようになりました。
言語に後遺症が残り、言葉がなかなか出てこないのにうーちゃんの名前と「先生」はしっかり言えていたおいちゃん。

うーちゃんが3カ月になった時、お礼参りを兼ねておいちゃんの所へ行くと自分の膝にのせろと言って、嬉しそうに見つめていました。(3ヶ月のブログにて)

その後、少しずつ回復してきたのに4月頃倒れて入院・・・。

うーちゃんとお見舞いに行くたびに笑顔を見せ、自分のベッドに寝かせて遊んでくれました。

日によって波はあったものの、一度は回復の兆しが見られたのに肺炎を起こしてから口数が減り、寝る事が多くなりました。

お見舞いに行っても笑顔がなくうーちゃんの手をトントンって触るだけでした。

6月のあたまに行った時も寝ていたおいちゃん。「うーちゃんと来たよ」と言うと久々に笑顔になって「デカくなったじゃん!来いよ」とスプーンすら持てなかったおいちゃんがうーちゃんを抱っこ。

去年母のもう一人の他界した兄の名前を寝ながら叫んでいたおいちゃんが、うーちゃんの姿を見て久々の笑顔になったとおばちゃんは大喜びだったのに・・・。

最後は母の兄姉・家族に見守られこの世を去りました。
今回の入院でおいちゃんは、「俺はもう家には帰れんなぁ」とボソッと言ったそうです。

産まれる命があるならばなくなる命があるのはわかりますが、ずっと旅館のフロント責任者として働き続け、ようやく第2の人生を楽しもうとした矢先に次々の病にかかり・・・。
神様はおいちゃんになんで試練を与えたのだろう・・・とよく思っていました。

腎臓機能が低下してパンパンになった身体も、家に帰って来たときにはすっきりとれていたそうです。

すい臓を摘出した時は、「腹の肉がなくなっちまったから、焼肉をうんと食べて埋めなきゃな」と笑顔で言っていたおいちゃん。

うーちゃんの成長を楽しみにしていて、やっとズリバイができるようになって見せに行こうとしていたのに・・・。

知らせを受けた次の日においちゃんの亡骸の横でズリバイを見せました。
「きっとおいちゃんは見てるよ」とおばちゃんは泣きながら言ってくれました。

亡骸を見るたびに思い出が溢れ涙が止まらなかったのに、お骨になると不思議とおいちゃんはどこかにいるように感じてなりませんでした。

おいちゃんと2人暮らしだったおばちゃんが元気を取り戻すまで、時間がある限り下田まで遊びに行きたいと思います。


おいちゃんの告別式に出かける朝、霊感のない私なのにベランダに薄黄色の着物を着た白髪の男性が横切って行くのが見えました。
おいちゃんが、「来いよ」と呼びに来てくれたのかな。
また、葬儀場では、手のひらサイズぐらいの蜘蛛が壁を歩いていたり、お経をあげている最中蠅が旦那ちゃんや母の手に止まったり、小さな虫がうーちゃんの頭の上をクルクル回ったり・・・。
極めつけは、お経が始まるとそれまで静かだったうーちゃんがニコニコし始めて何かを追いかけるように見つめながら話をしていました。

おいちゃんがうーちゃんに最後の別れのあいさつにきてくれたのかな・・・。