どもにひひ

最近ネットで『DREAM COME TRUE』の25周年ということで色んなインタビューが載せられているのですが、その中でリーダー「中村正人」氏のインタビューで興味深いものがあったニコニコ





その記事はドリカムが1998年に世界進出としてアメリカでアルバムのリリースを行った話でしたべーっだ!

記事によると、ドリカムは日本のマーケットだけではなく世界のマーケットに挑戦すべく、1997年に米の大手レコード会社ヴァージンと契約し1998年にアルバム『SING OR DIE』をアメリカでリリースニコニコ




ま~ご存知の方も多いと思いますが、このアルバムはアメリカでは全く売れなかったんだよねガーン

その理由はアメリカのマーケットがあまりにも巨大だったことと、プロモーション不足、ツアー等を繰り返し行うだけの時間、お金等ま~準備不足と中村氏も言ってたけど甘く見てたんだろうねしょぼん


でも、驚くのはアメリカで売れなかったことではなく、このアメリカ進出の為に当時デビューから所属していたEPICソニーレコードからヴァージン(日本では東芝EMIが契約)に移籍したことによって国内ではドリカムがEPICの圧力によって干されたことガーン


テレビ出演はおろか、ラジオへの出演及びドリカムの曲をかけること自体にも圧力がかかりドリカムは日本でも消えかかったという事実叫び

だからこのアルバムの国内盤の『SING OR DIE』もあまり売れなかったんだよねしょぼん





「中村がいる限りドリカムは使わない」というテレビ局、ラジオ局ばかりで、アメリカ進出失敗後に所属事務所も脱退して新事務所を立ち上げ、レコード会社もインディペンデントレーベルでリリースとうスタンスになったそうなガーン


やっぱり『義理、人情』は忘れちゃいけないとは中村氏の言葉得意げ

ま~色んなことを経験して今のドリカムがあるのだと思いますけどねニコニコ