明日だね。
ニュースでもネットでも流れてるね。



11日の夕方になる前、15時半ごろかな..

生まれて初めて強い揺れを経験した。




勿論、被災地とは比べられないくらいの揺れだが、徐々に強くなっていく中、怖い!という思いよりも軽くパニクった。
1人で思わず悲鳴をあげてしまったくらい。




家がミシミシギシギシ鳴り、モノが落ちていった中、生まれて間もない2ヶ月の息子を抱えて自分は着の身着のまま、片手で息子を時々、壁を伝いながら玄関まで...


靴下のままでは危ないから、とっさにそこにあった妹のスニーカーを履いて家を飛び出した。




近所のおばさんから、赤ちゃんにって大きなバスタオルを差し出された。
1人で気が張っていたのが、何だか緩み、温かさを感じた瞬間だった。





その時は家に私と息子だけ。
家族は仕事、旦那もいなくて凄く心細かった。



一旦揺れが落ち着き、収まるまで外にいた。





また揺れが来ないかビクビクしながら、家に戻り、念の為、玄関は開けたままにしといた。
歪んで開かなくなることがあると記憶にあったから。


そして


大きな肩掛けカバンに赤ちゃんに必要なあらゆる物をもう詰め込めるだけ詰め込んだ。

次揺れが来たらその鞄を背負って逃げる、息子に不便が無いように、もう避難所生活のシミュレーションを...





あれ程、自分なんかよりも我が子‼
自分の命に変えてでも息子を‼って強く、本当に強く思った日は正直...あれ以来、無いかな[みんな:01]





そして電話回線はもちろん、通じず混雑。


そんな中、バイト先にいた妹からの電話が奇跡的に‼
妹は誰より一番先に私にずっと電話をかけ続けてくれたらしい。


お互い安心した。

これからある余震や二次災害には気を付けてまた会おうねと電話を切った。




息子が生後2ヶ月ならば私も産後2ヶ月の身体と精神状態。
里帰りをして休養中の身な上、赤ちゃんとどうなったのか、家族は皆真っ先に私達を心配してくれていた。



家族の愛が改めて身に染みた。




その日、旦那も妹も交通手段が無く、家には帰ってこれず...
家族バラバラで一夜を過ごした。



余震は幾度と無く続いた。
夜中も、明け方も、何度も。


不安で仕方無かった。




そんな中の母の一言。
『もし、ママが何かの下敷きになって逃げられなくても、躊躇しないでサランはケンの為に逃げるんだよ!いいね!』

と言われた。



複雑だったが、もう私には守るべき息子がいる...実際そうするのであろうか?躊躇することなく母を見捨てられるのだろうか?などと想像してしまった。



夕方のニュースで、リアルタイムに津波に流されていく町を見た。


私と同じく子供を抱えて逃げていた親や、幼稚園なんかで親の迎えを待っていたであろう子供たち...

この津波にそんな人達がのみ込まれているのではないか...そんな事を思い、息子の寝顔を見たとき、自然と涙が出た。
ニュースを見ながらポロポロ泣けてきた。




翌日もその翌日もニュースを見る度に人探し、泣いている人達、グチャグチャになった町が...
神様はいないんだなぁーなんて思った。






私達は
地震の為、予定よりもだいぶ早く韓国に渡った。
シプモが早くきてと、とても心配し、私の親も日本にいるより、日本から出た方が安心だと。

もちろん、飛行機の予約なんか取れず何日もかかった。



空港には沢山のキャンセル待ち客で溢れていた。




そして

あの揺れが相当衝撃だったらしく、
韓国は地震がない、
揺れるはずが無い、
と分かっているのに...

ソファーや床に座っている時、揺れを感じた日が続いた。

眩暈なのかとも思ったけど、眩暈とも感覚が違う。


そして気持ちがとてつも無く不安にかられて、パニックになりそうになった。本当に。


不思議だよね。


突然、揺れ出すの!

自分ではもう何とも思っていなくても、あまりの衝撃的な地震の体験、思いなどが身体に刻み込まれたのかな?


旦那に揺れると話したら、実は俺も...ふといきなり揺れを感じる時があるんだ、と言われた。


旦那も怖い思いをした。
ひび割れる道路、電線が切れたりその線がヒュンヒュンしている中、逃げたらしい。



そしてその揺れる感覚は、それから徐々に2ヶ月後には無くなっていった。





あの日を思うと、地震がある日本にいる家族のことが心配になる。




ニュースでは遺族が2年経ったが何も変わらずあの日で時は止まったままと泣いていた。
...

今ある幸せに、より感謝。
何でも無い日普通な毎日がとても幸せなことだよね、本当に



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