2010年9月29日、この金山の地で
一風堂シロマルベース金山店が産声をあげてから、9年余りという歳月が流れました。

しかし残念ながら10周年を待たずして、まさか突然の終焉を迎えるとは、夢にも思いませんでした。



昨夜のそのフィナーレから24時間が経過。


今、まさに『万感の思い』です。

まるで家族とか親友とか、自分にとって非常に大切な人を失ったかの様な、
そんな気持ちです。


「たかだかそんな事で何をセンチメンタルになってるんだ?このQBって奴は」

といった嘲笑が聞こえて来そうですが・・・



ずっと当たり前にあったものが無くなるという悲しみ。
それは時として堪え難いものがあります。

お気に入りだった、カウンターの1番席。

何度ここに座り、喜怒哀楽、様々な思いでラーメンを食べた事でしょう。


うれしい時、
泣きたい時、
元気が出ない時、
くやしい時、
気分のいい時、
人はラーメンを
食べたくなる。


何度も何度も、数え切れないぐらい、このお店に、この味に、スタッフの皆さんに救われました。

私にとって、ここは云わばセカンドハウス。

そして初代店長だった石原隆史さん、三角虎次郎さんらオープンスタッフに始まり、現在の谷上詠一店主ら現行スタッフに至るまで脈々と受け継がれてきた、真心のこもった接客姿勢、そしてラーメンの味わい。

スープの特性上、赤丸や白丸に比べ、ブレが出やすいのがシロマルベースの短所でもあり、また同時に長所でもありました。
特に深夜遅い時間帯のかなり煮詰まったスープは、得も言われぬ迄の絶品でした。
即ち『ブレもまた味わいの魅力のうち』として楽しめる、極めてマニアックなラーメン。

時に仕事の手を休めて歓談してくれた、歴代のスタッフの皆さん。
時代が移り変わり、外国人スタッフが過半数を占める様になっても、決して変わらぬ明るく元気な笑顔と接客。
ここ数年の全国的な外国人労働者の急増に伴って様々な声があがる中、ここのスタッフの皆さんは人種国籍を問わず実に明るくフレンドリーであり、尚且つチームワーク統制もバッチリなのです。

そうしたスタッフ皆さんによる『チカラ』。

どれだけここのお店からチカラを貰った事でしょう。
ソウルフードとか、卓越した社員教育とか、そうした単語で安易に筆舌出来るものでは到底ありません。

それ程までに私にとっては、ありとあらゆる魅力が溢れる、
究極なまでの“需給バランスの場”であったと言ってしまっても過言ではありません。



しかしながら、

私事ではありますが、
我が人生のここ1、2年に於ける度重なった大変革と、それに伴う幾多の喪失。

それらに続けてまさか、ここのお店も失うとは・・・。



すべからくこの世は全て、始まりがあれば終わりがあるのが常であり、

諸行無常、会者定離とは申せ、
やはり次のステップに進むにあたり、必ずしもそれは快感とは限らず、時には耐え難い苦痛の数々を伴う事もしばしばです。

おそらく、暫くの間はこの苦悩から逃れる事は困難だと思われます。

今はそれを真摯に捉え、悲しみを存分に味わう事もまた一考、とも考えています。

なにもこのお店が全く違う飲食店になってしまう訳でもありません。

他ならぬ、我らが一風堂のレギュラー店舗として生まれ変わる訳です。

語弊を恐れずに言わせて頂ければ、

この業態チェンジが果たして吉と出るか、
凶と出るか・・・。


決して嫌味で書いている訳ではありません。
もしも今回のチェンジが失敗だとしても、また元のシロマルベース形態の店舗に戻してくれればいい訳ですし、
でもおそらくレギュラー店舗に改変した方が、もしかしたら売上的には上昇するのかも知れません。

知名度的にも、そしてメニュー商材的にも、あらゆる意味で赤丸新味・白丸元味の方が断然アドバンテージが高いラーメンであるのは周知の事実であり、
逆にシロマルベースはどちらかと言えば賛否が分かれやすい『マニアックなラーメン』である事も、これまた歴然とした事実です。


思えばオープン当初、そのあまりのインパクトの強さに、世間では、

「普通の一風堂だと思って入店したのに、裏切られた」

「こんなの一風堂のラーメンじゃない。クセが強過ぎる」

などと、どれだけ酷評された事か。



しかしその反面で、

「さすが一風堂!こういうベタな、どトンコツのラーメンを待ってたんだ!」

「最初は衝撃を受けたが、気がついたらヤミツキになっていた。中毒性がある。」

という声も次第にあがり始め、
まさに
”食べ手を選ぶ、マニア向けのラーメン”
として、徐々に存在感を確立していき、熱狂的なファンも続々と生み出しました。


本場・福岡の久留米ラーメンを彷彿とさせる、
決して妥協を許さぬ、正真正銘の筋金入り重厚トンコツスープ。
久留米ラーメンの様な獣臭がするものの然程ドギツくなく、濃厚コッテリ&サッパリで飲みやすくて、汁完し終えた丼の底面には骨粉が残るというのがまた堪らなくイイ味を醸し出していて・・・。

遡れば約35年前、
一風堂がまだ福岡の繁華街の小さなラーメン店だった頃の創成期、現在の会長であり創業者の河原成美氏が来る日も来る日も厨房に籠り、試行錯誤の末に編み出した、唯一無二のスープなのです。

ここに、シロマルベース店内に掲示されていた今は無きフレーズを原文のまま引用、掲載させて頂きます。

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1985年、博多、大名。
路地裏の小さなラーメン店の店主は、豚骨を煮詰めては水を足し、また煮詰めては水を足し・・・繰り返すこと丸二日、ほかに例がない『トロリとしたポタージュのような濃いスープの豚骨ラーメン』を完成させた。
博多らしい極細ストレート麺とチャーシュー、ネギだけのシンプルなラーメンは、博多の多くの若者を魅了し、やがて路地裏の小さなラーメン屋は全国区のラーメン屋になった。
四半世紀後、進化を重ねたそのラーメンは、日本のみならずアメリカ、アジアと世界中にファンを作り続けている。
「SHIROMARU-BASE」は、博多一風堂創業当時の「原点の味」が楽しめる店。
トロリ濃厚、シンプルな豚骨の“旨み”をお楽しみください。
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そこで思い浮かぶのが、ラーメン零(ゼロ)。
河原会長が修業時代に編み出した
“未完成の中の完成”として、
現在でも全国各地の一風堂店舗にて、周年祭やイベント等の際に不定期的に提供される逸品。
一風堂夜明け前の“幻のラーメン”として有名ですが、
それと並んでこのシロマルベースもまた“未完成の中の完成”として当時から既に大好評を博していたラーメンなのです。

つまり、こうした歴代のラーメンが無かったら、世界に拡がる一風堂店舗も、況んや赤丸も、白丸も、生まれ出でる事も無かった訳です。

言い換えれば、ラーメン界の
“生けるレジェンド”的なラーメン。

その稀有なラーメンを提供してくれる貴重なお店が昨日、遂にこの名古屋から消え失せてしまいました。

残るシロマルベース店舗は
東京の渋谷店、大森店、大阪の梅田店、なんばグランド花月店の、僅か4店舗のみ。

今後は、かなり遠方ではありますがそうしたお店に可能な限り通いたいと思います。

なにせ、9年間にわたる継続的摂取を続けた事により
今や定期的にシロマルベースや中洲ブラックを食べないと欠乏症になり、“禁断症状”が出てしまう中毒性体質になってしまいましたので・・・。(笑)

在れ此れあれこれと、思いを馳せればきりがありません。

ここ暫くは、ずっとこうしたモヤモヤに苛まれる事でしょう。





最近、ふと思うのです。

お店とか建物とかにも実は生命や意思があるのではないか、と。

“不動産”と書いて字の如く、動き回る事はおろか、喋る事も、意思を示す事も出来ません。
そんな、人間の手によって造られた無機質の物体ではありますが、造られた時点でその造り手の、そして主の“魂”が注ぎ込まれ、命が宿る・・・。
そんな気がしてならないのです。

赤ん坊同然の状態から少しずつ人々の手によって愛情あるケアを享受し、やがて大いなる成長を遂げる・・・・。

まさにそれは『生き物』であり、『人間』そのものです。

河原成美会長の著書「あなたの店をつぶさない法則」にも、そうした記述があります。


そしてそれは店舗や建物の限りに終わらず、そこの人々の手で作られる『物』自体にも同様に作り手の魂が籠るものと信じます。

まさに「一杯入魂」のラーメン。



そうした尺度で見ると、僅か9年ちょっとしか生きられなかった、シロマルベース金山店。

人間の子供に例えるならば、小学3年生ぐらい。

そんな年端もゆかぬ可愛い仔の、来たるべき未来の成長した姿を見る事も叶わず、悲しくも消え行くこの現実を思うと、堪えきれず涙腺が弛むのを妨げる事が出来ません。



「こやつ、更にも増して女々しい奴」

「かくなる上に、店舗建物を擬人化までするとは、オカルトどころか狂人レベル」

と嘲笑って頂いて構いません。


人を愛するのと同じに、店舗建物や食べ物を愛する気持ちの手段方法は人それぞれ。


さしあたり今は、レギュラー店舗として生まれ変わる金山店のリボーン劇に期待し、見届けようと思います。

言うまでもなく、谷上店主率いるスタッフの皆さんは継続勤務され、取り敢えずこれから約1週間半の改装期間中は近隣の店舗に一時的に移られます。そして改装完了後、改めて「一風堂 金山店」スタッフとして戻られます。

装いも新たに、また元のスタッフの皆さんの力が再び結集し、一風堂 金山店としてリニューアルオープンします。



我が愛する金山店よ、永遠なれ。


さようなら、シロマルベース金山店。


さようなら、シロマルベース。

さようなら、中洲ブラック。


ずっと忘れないよ、これからも。


そして、時々は頑張って東京や大阪まで、兄弟分に会いに行くよ。


今まで本当に、

ありがとう❗