体に代謝という機能があるように、人の心も、循環が必要だ。
荒俣さんが「喰らう読書術」で述べていた精神の食事同じく、
心にもエネルギーは必須なのだ。
ここ数か月、実生活ではなぜかイライラし、
筆を握ればろくな文章は書けないし、
パイプを咥えればクールスモーキングを楽しめず、
仕事も思うようにいかないし、アンラッキーヤングメンだななんて、
藤原カムイさん読み返しちゃったりして。(余り関係ないけど)
何がいけないのだろう?と考えていたら、冒頭に行き着いた。
精神の栄養が足りないんだ。
すぐにどうこう出来る問題ばかりではないが、全て自分のことや。
とりあえず、趣味を増やしてみようという結論になった。
・語学を学ぶ
・ピストを買って、出先でスケッチ(デッサンや水彩画)
・定期的にランニング
・映画を観る
ぽっと浮かんだものはこれら。
ロシア語と英語はきちんと覚えたい。
欲を言えばフランス語も、ラテン語も少し興味がある。
いずれは文学も原文で読みたいからね。
ピストはいつ買うのかしら。
ランニングは、運動不足解消の為。
映画は、発想力を増やしたい。
僕は、自己表現の為にも、内奥吐露の役割としても、
生涯ものを書く事は続けていきたくて、
その為には何かを得て、それを自分で表現して行かなければ・・・
十年くらい前に高橋和巳の「現代の青春」を読んで、
ブリダンの驢馬等、第二章にいたく納得したものだが、
「精神の網」にこんな言葉がある。
「読むことと書き述べることの比率が、
時間的に八対二ぐらいであるのが
一番精神に健康であるような気がする。
あまり読んでばかりいて表現する場がないと
せっかくの知識や思弁も腐敗するが、
書いたり喋ったりする比重が大きすぎても
壊れたレコードのように堂々めぐりをはじめる」
何事にも極端に走りがちな僕には、常々留意すべき事ばかり。
体同様心だって、取り入れる・吐き出す循環がなければ、
機能に支障をきたし、個人のバランスは簡単に崩れる。
尚且つ心には正解の定義が存在しないものだから、
基準は常に自分にあるし、人は他人も自分も欺ける。
壊れた時には既に遅いのだよ、と。
まあ心の問題は割愛して、ものを書く事に戻れば、
僕にはそっちの栄養が足りなかった。
表現を広げるために、色々と触れ合う必要がある。
僕自身が外に出て行かなければ、何も始まりはしない。






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