息子が不登校になった当時を

振り返っていた。

 

 

息子が小学校3年生の3学期から

急に学校へ行けなくなった。

それまでもいつもと違う行事などが

あると緊張して、

「お腹が痛い」

などと言うことはあったが、

行けなくなることはなかったので、

まあそういう性格(心配性)、

体質なんだろうな、

程度にしか思ってなかった。

 

 

今思うとこの時すでに

不登校予備軍だったのに…悲しい

 

 

そして行けなくなった時、

どうして行きたくないのか

聞いてみた。

息子の返事は

 

「担任の先生が話を

聞いてくれない」

 

3年生の4月に担任の先生の

発表があった時、周囲から

「あの先生のクラスは

去年学級崩壊していたから

気を付けたほうがいいよ」

と聞いていた。

 

 

でもその時の私はその件について

あまり重く受け止めていなかった。

それは他の先生だが、

同じように要注意と言われている先生が

娘の担任になったことがあったが、

娘も私もとても気に入っていたからだった。

 

 

そりゃ、人間合う合わないもあるし、

その時のクラスのメンバーによっては

先生方もまとめることが

難しいこともあるだろうな、

と思っていたから。

子供たちだけじゃなく、

色々な保護者の方たちも

みえるしね。

 

 

そうは言ってても、

いざ息子が不登校になって、

最初に思ったのは

「やっぱりあの先生、

噂どおりか…」

我が子が当事者となった途端に

担任の先生を批判的にしか

見られなくなったえー

 

 

息子の話を聞いてくれない、

という内容は

発表会の練習中にお友達が

「お腹が痛いです」

と言ったら、先生が

「今は練習中だから

もう少し我慢しなさい」

と言ったと。

 

 

それを聞いた息子は

「僕がお腹痛くなっても

我慢しなければならないんだ、

と思うと不安で

もう学校には行きたくない」

という。

 



 

これを聞いた時、

「なんてこと言う先生なの!!

保健室かトイレにくらい行かせて

あげてもいいのに!!

っていうか行かせなきゃダメでしょ!

息子にとってその言葉は

行けなくなっても仕方ない!」

 

 

もう私の怒りの矛先は

担任の先生に向いていたプンプン

 

 

でもこの場面のやり取りが原因で

不登校になったのは息子だけ。

我慢しなさいといわれた子自身も

何とも思っていないようで

その後も普通に登校していた。

 

 

もちろん子どもが体調不良を

訴えているわけだし、

中には繊細な子もいるわけだから、

先生ももう少し言い方が

あったんじゃないかな、

とは思う。

 

 

ただ、今になって思うと、

息子の不登校はこれが

引き金になっただけであって、

本当の意味での原因は

「担任の先生が

話を聞いてくれない」

 

この言葉に

全てが込められていただろうショボーン

 

「話を聞いてくれない」

 

息子は担任の先生に対して

発した言葉ではあったが、

それ以前に実は

私に

向けられた

言葉

だったと思う。

 

 

もちろん普通に話は

聞いていたつもりだったが

ただ聞くだけ。

その言葉の奥に

込められている息子の気持ちにまで

心を寄せて聴いていなかった。

きっとこうなるまでに

何度もSOSを発していたであろうに

気付いてあげられなかった悲しい

 

 

そう思うと、

よくもやらかしてくれたわね!

という怒りでしかなかった

シチュエーションが

大切なことに

気付かせていただき

ありがとうございました!

という感謝に変わったおねがい

 


 

この場面がなかったら息子はまだ

「話を聞いてくれない」

の言葉を内に秘めたまま

苦しんでいたかもしれないガーン