吾輩は猫になりたい人間である。名前はどーでもいい。
人間なので猫になれないのは百も承知である。
ただ猫のようにいきたい。もとい、猫のように死にたい、
猫は自分の死期を察するや、飼い主の元を離れて人知れず人里離れた場所を選んで死ぬという。
その死に方に憧れる。
そういう末期を迎えたい
悲しいかな、人間界にうまれたらそれは出来ない。
実は今回沖縄に来たのはある意味死に場所を求めての旅行であった。
人工透析となった今では、さいごは脳硬塞か車椅子生活か病院にて望まない治療をこちらのきぼうと関係なく施され、天命とは違う医者の作った寿命で生かされるのが堪らなく嫌なのである。
今回沖縄でのお世話になる病院の先生に真剣におねがしたが、医者としてその希望にはそえない、とハッキリ拒絶された。
うえに、誓約書まで書かされた。
内容は自分の生命に危険があると判断された場合は医者の適切と考える医療機関に転院します というもの。
医者も患者の意思よりも我が身大切ということか。
死ぬ時まで他人に迷惑をかけたくない。
今回離縁同様にして、女房と別れたのも後の介護生活で迷惑をかけたくない必至の思いからなのだ。
残された道はひとつ。
透析に行かない事だが、行かないと高カリウム血漿になって死をむかえられるか。
積極的自殺ではないが消極的最後という方法。
脳硬塞から両足切断、胃漏で植物人間になって死を迎えた兄貴の最後を見取った吾輩はは同じ死に方はとても人間的と思えなく、 尊厳死としてまだ猫の自由な死をを選びたい。
ただこれを書き記した今日明日透析に行かないという愚は選びませんのでご心配なく。