終活が流行っているらしい。
自分の終焉をどう迎えるか。
形は如何あれ、何事かをみんな考えている事と
思うのだが、それをどこまで形にするか。
私も死んだら・・・して欲しい
というのは女房に伝えている。
むしろこうして欲しくない。のほうが多いのか。
まず、坊主が嫌いなので死んでも墓に入れるな。
俺が死んだとて誰にも連絡の必要なし。
いずれ、風の噂で知ってもらえばそれでよい。
写真も残す必要も無い、もし子供が持ちたかったら
あえて止めないが、心の中にイメージで浮かんで来る
面影だけ大事にしてくれ、もし、面影さえ浮かばなくなったら
それ以来、自分のことは忘れてもらってもかまわない
など・・・思っていることを伝えた。
終末期に入るのも人それぞれ動ける状態が違うと思うので。
どこまで手配してこの世を去るのか。
ただ、願うことは苦しみながら死にたくないということだ。
医学の進歩によって、なかなか死ねない。
昔なら手のほどこしようも無く死んでいった人がほとんどだったろう。
それが寿命なのだ。
ところが医学の進歩でとことん・・ぎりぎりまで生を伸ばしてくれる。
コレは幸せなことなのか。
人に与えられた寿命を無理やり伸ばしているのでは無いのか。
医者に「もう、ここでいいです」と本人が申し出ても
延命治療を止めてはくれない。
なら、せめて退院は如何だろう。
医者も患者の側にいてできる治療をほどこさないと
医者として責任感・倫理観で作業をするのだろう。
自宅の寝床で家族に見守られて眠るように死にたい。
苦しい、痛いのはイヤなので
モルヒネをある程度の量貰っておいてって駄目かな?