先月、このネットニュースを読んで、ブログを書こうと思ったら、お世話になっている教育評論家石川先生がこの記事について触れておられました。


『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状(文春オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/71a720f8dade4389023fff74c9698da6cbba958f



やはり、教育に携わるものとしてはスルーできない内容。日々、子どもたちと接していると、経験値不足、想像力の乏しさを感じます。



子育ても、昔と今では大きく変化していて、自分が子どもの頃に経験してきたことは、ほぼ現代では許されないことばかりです。



昔はよく「いたずら」をした記憶があります。

そのイタズラをしたことで、近所の人に注意され、親に叱られ、反省したことを思い出します。しかしそれは今だったら犯罪になるかもしれません。


良いか悪いか、◯か✖️か、イタズラして試すこともできない、どうなるかな?と好奇心を満たす場もない、現代の子どもたちは少しかわいそうだなとも思ってしまいました。


イタズラや失敗の経験から学ぶことって以外とあって、祖父の池の鯉を死なせてしまったこととか、秘密基地だと思って遊んでた所は防空豪だったとか、収穫してきたよー!と得意げに持ち帰った野菜はよその家が大切に育てていた畑のものだったとか、40年以上経った今でも鮮明に覚えているって、実は有り難いことだったんだなと思うのです。


そういう経験から、痛みや苦しみ、危険、恐怖、羞恥心、落胆、いろいろな感情を学びとることができたように思います。



数日後に、この記事に対して批判記事が出ました。


「この事例では国語力の崩壊とは思わないという批判が殺到」


「読解力の問題ではなく、文化の断絶の問題だという指摘も」


「発言した子供たちの社会背景の問題」



https://agora-web.jp/archives/220731013715.html?amp=1



ネットやSNSで人の意見に物申す暇なんてない。目の前にいる子どもたち、現代の子育てしか知らないお父さんやお母さんたちに伝えていくことが大切なんじゃないの、一人でも多くの子どもたちに伝えていくことが教育者としての役割なんじゃないの、そんなふうに思った夏休みなのでした。