(3)の続きです。
繰り返しになりますが、灰色文字が金田一さんの「金田一耕助の解」のページに掲載されている内容で、紫色文字が古嶋一平の文です。
さらに、もう一つ考えなければならない重要なことがある。当初は生みたいと思っていた母親がなぜ中絶を決断しなければならなくなったのか、その理由である。
二番のサビの部分にその答えがある。
『僕の我慢がいつか実を結び』
『僕』は生まれてきたいという願いを『我慢』した。それはどんな『結果』を期待してのことか。
【本来の歌詞の位置にある、上からの流れで解釈すると『僕の我慢』とは、「生還することを我慢した」「妻子の元に帰ることを我慢した」と言う側面も考えられるものの、『実を結び』というところに繋がるのを重視するのであれば「自分を死に追いやった誰かを憎むこと、恨むこと、あるいは報復することを我慢した」などではないかと受け取れます。再度花言葉に言及すると、「返礼」が「お礼参り」であってはならないと言うことです。当初は歌詞に入っていたと言う「テロ」や「ミサイル」といった忌むべき言葉を歌詞に使うことを封印して、『君と好きな人が 百年続きますように』と言うメッセージに昇華した一青窈の我慢にも通じているかもしれません。】
『果てない波がちゃんと止まりますように』
母親が中絶することによって『波が止まる』ような状況とはいったいどのようなものだろう…。
そう…
唯一考えられるのは…不倫だ。
すなわち、この母親はそれによって不倫相手とその妻との『果てなく』続くかに思われたどろどろの三角関係に終止符を打ちたいと思ったのである。
そう考えれば何の疑問もなくこの歌詞の意味が理解できるようになる。
【これまた上からの自然な流れですし、一青窈のインタビューにも通じますが『果てない波』が憎しみの連鎖で起き続けているテロとすれば「自分が憎悪を我慢することで、憎しみの連鎖が止みますように」と言うそのまんまのメッセージです。私は元々、疑問は持ちませんでした。】
『君と好きな人が 百年続きますように』
ここで語りかけている『君』とは不倫相手のことであり、『君の好きな人』とはその妻(あるいはその本妻の子かもしれない)である。
母親は自ら身を引くことにより、不倫相手とその妻との間の『波』風が収まって、その関係が『百年』すなわち末永く『続いて』ゆくことを願ったのだ。(「永遠に」でないところはやはり女心か)
これであの最後の言葉の謎も解くことができる。
『待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ』
これは天国の赤ちゃんに対するものではなく、不倫相手に対するメッセージだったのだ。つまり、
「私はもうあなたのもとには戻らないから、待たなくてもいいよ」
「私が赤ちゃんを堕ろしたことなんて、知らなくてもいいよ」
というわけだ。
彼女は妊娠の事実を不倫相手には教えることなく、中絶し、別れることを自ら申し出た…。
これが私の導き出したこの歌の謎の解である。
【これまた本来の歌詞の位置にある、上からの流れで解釈すると『待たなくてもいいよ』は、母の日に贈るミズキの葉に花が咲くのを『待たなくてもいいよ』で、『知らなくてもいいよ』は「ミズキの葉に何故つぼみがつくのか」「誰がつぼみを付けてくれたのか」までを『知らなくても』良いに含めることも可能です。私自身も今ひとつ決めかねるのは、この『知らなくてもよい』が、娘に対してまでを含んでいるのか、あるいはハナミズキの受取人である母(娘のママ)だけを言っているのかという点です。綺麗にまとめるなら、娘には「パパがこのつぼみを授けたんだ」とわかってもらい(想いを受け取ってもらい)、ママは詳しい経緯は知らなくて、お花(状態はつぼみ?)を母の日に娘から受け取って単に喜んで欲しい<僕の「妻に喜んで欲しい」と言う想いも達成される>ね、と言う心理です。でもここも『知らなくて「も」いいよ』であり、知ってくれて「も」良い訳です。個人的には、自分だったら本音としては知って欲しいですね。もう一つ悩んだのは、最終的に母の日にあげたハナミズキはつぼみなのか、花開くとこまで行くのか、あるいは実を結んだりするのか、というところです。世界平和の部分に重きを置くなら、いずれ世界平和「実現した」際に花が咲いたり、あるいは実がなったりするという設定にするかもしれません。一青窈はインタビューで「花として実を結んでいる」と言う言葉を使ったようなので(ただこれとて、完全逐語掲載なのかとか、一青窈が一字一句正確に自分の作詞背景をインタビューで回答せねばと自身に課していたかも、あるいはワシントンとの桜との交換が今日の日本でのハナミズキの存在として「花として実を結んでいる」と認識しているからと言って、直ちにこの曲での言葉の扱い方が同様になるかというと、その辺は私には知る由もありません。花と実は同義なのかもしれませんし、つぼみと花の違いを重要なポイントとして詩に反映させているかも私には良くわかりません。ただ、「つぼみ」までで、「花」が今の段階では歌詞の中に一度も出てこないのは、個人的には意図的なものなのかもしれないなぁ、とも思えます。
また、私自身が一番の解釈として浮んだのは、上のようなものでしたが、『知らなくてもいいよ』の部分については、テロや自分の死に様を含めた「パパがどうしてそこに居られないのか」と言う候補も思い浮かびはしました。そして、『待たなくてもいいよ』の部分に付いても、「自分の帰りを待たなくてもよい」と言う解釈も充分あり得ると思いました。ただ、個人的な心情は前段落に書いた内容でした。】
どうかこれらの解釈を当てはめ、もう一度最初からすべての歌詞を追ってみてほしい。
すべての言葉が、すべての言い回しや表現が、そのあるべき場所にぴったりと、完璧に収まっていないだろうか。
完成された方程式の解のように…。
当然、この母親は一青窈本人であろう。
彼女は生涯決して不倫相手に妊娠の事実は告げるまいと決意したものの、それでもやはり知ってほしいという想いを捨てきれず、この歌詞に暗号としてメッセージを忍ばせたとしても何ら不思議はない。
【私は今までつらつら書いてきたような解釈で居ましたので、この金田一さんの断言が不思議です。】
(5)へ続きます。