2019年度  90本目の劇場鑑賞

 
「帰ってきたヒトラー」のイタリア版。
 
空から突然公園へ降ってきたのは現代に蘇ったムッソリーニ(マッシモ・ポポリツィオ)だった。売れないテレビ作家のカナレッティ(フランク・マターノ)は見た目も言動もムッソリーニにそっくりな彼を車で連れ回りドキュメンタリーを撮り始める。ムッソリーニが各地の人々にインタービューし、そこでの生活の不満や政治に対する不信を聞いて回るその映像はネット上で話題になる。この部分は芝居ではなく実際にドキュメンタリーだ(作品の重要なモチーフでもあり、イタリア国民の想いを表している)。

この話題をカナレッティが所属していたテレビ局が取り上げ、彼をトーク番組に出演させる。ムッソリーニは現代の腐敗とファシズムの理想を真面目に話せば話すほど笑いが起こり、そっくりさんの俳優だと思われている彼はたちまち人気者になってゆく。

ムッソリーニが町を歩くと多くの人が手を振ったり、一緒に写真を撮ろうとしたり、大人気だ。これはエキストラによる芝居ではない。人々はムッソリーニを見てどのような反応を示すか(もちろん人々は偽物と信じている)を撮影した一種のドキュメンタリーだ。したがって多くの人の顔にボカシがかかっている(撮影した後、一人一人に顔出しの許可を尋ね、拒否した人の顔にはボカシを入れる。テレビでも同じだが大変だね!)。前半のインタビューシーンと同じ手法だ。
最後もムッソリーニがオープンのクラシックカーで町を走り、彼を見た多くの人が手を振ったり啓礼(ナチ的)をしたりするシーンで終わる。
 
この作品でのムッソリーニはいかつい独裁者の顔だけではなく、チャーミングで人間的な魅力も大いに持っている。歴史上の数々の独裁者もやはり人を引き付ける何かを持っていたのだろうか。

普通観客はこの手の作品の制作意図を独裁権力、人種偏見・差別、ネオファシズムやポピュリズムに対する批判・警鐘として捉えるだろうが人によっては異なった見方をする人もいるかもしれない。作品の中では<国民は愚かだ>を主張するコメディアン俳優の毒舌が大いに受け、多くの若者は強力な指導者を求めているようにも見える。


評点・・・★★★ 3