一白の表現

一白の表現

ただ、表現している。

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きみも、俺も、才能ある。

いい人ぶってとか、励ましとかじゃないな。

才能なんて、誰でもあるんだ。

能力といってもいいし。

そういう類のものは、誰だって、どんな人だって持ってる。

問題はそんなことじゃない。

だから、「できないこと」は無いのもわかる。

でも、できない。

できないんだ。

志村ふくみさんは人間国宝にまでなられた方だが、そのような凛とされた方でも80歳から3年間鬱になったことがある。

でも、今は学校まで立ち上げられ、快活に行動されている。

一体、俺は誰なのかと問えば、自分ではないものに固められて生きていることにきづく。

もうどうしょもない位に浸りまくってる。

もう一度考えてみようよ。

自分が大嫌いなもの。


生きていなっかたことに気づいてしまって、もう、どうしたら良いかわからなくなってしまったよ。

なんで生きがいを感じないのかは、理由明確だったわけだね。

なんとか自分を鼓舞しようと必死になっていたが、全く前に進まない。

焦りと絶望感を感じながらも、この国は平和すぎるから、生きていけるし、絶望感といっても、甘っちょろい絶望感で、もう、そのこと自体が生きていない証しだな。

なんていう国なんだろう。

なんて平和なんだ。

もう、生きる術がないじゃないか。

人は環境により、流されるのである。

大衆により流される。

そして自分が、えらい肥えたブタのようにどこかに運ばれていく。


それは気づかないうちに、近づいているんだ。

俺が悩んでいることが、悩みとは、良く言えたもんだと思うから。

だから、はじめるしか、無いんだな。


もっとだらしなくていいよ。

ちょっと変えるんじゃやらんほうがましだ。

カラオケでも行って、思いっきり眼球上転させて、よだれ垂らすくらいでかい口開けて、思いっきりありえないくらい音程をバカハズしして、アホな顔で歌ってみろよ(車の中でも可)。

自分がどれだけ自分を殺していたか。

わかるはずだ。

後輩が祖父のお葬式から帰って来た。

俺に報告をしてくれた。

お休みを頂き、ありがとうございますということ。
そして、おじいちゃんへの想い。

後輩は「身近な人の死」について、真剣に考えていた。
俺にこう言った。

「私は、おじいちゃんが生きた証です」


いま、僕の近くにいる人は、誰の証だろうか。




小さいからってなめちゃいけないんだ。

小さいけれど、必死なんだ。

小さいけれど、自分のいる世界で、手なんか抜いていない。

小さいけれど、まっすぐなんだ。

だから、裏切らない。

自分の、小さな想いを。






一番最初に買ったレコードのこと覚えてる?

あっCDか?

レコード店に入るのもドキドキして

探したレコード

帰り道嬉しすぎた。

何度も、何度も聴いた。

あんなに物を大事にしたこと、なかったよな。



今、その感覚を思い出そうとしているところ。
自分を最低だなんて、ネガティブな事言わないで!

とか

自分を愛すべきとか、色々言われたって、どうしても最低最悪に思う自分がいるじゃないか。

まるで、世界で一番悪のように思うこともある。

誰にも言わないけれど。

殺人者より、誰よりも。

誰にもわからないだろう、そういう気持ちを持っている人は必ずいるだろうな。

物理的に人やものを傷付けないにしても。

そう思っている人は必ずいる。

何とかしたくてもできない人だっているんだ。
そして自分を責め続ける。

そして、それはただ単に、自分を否定することで肯定しているという、無意識の逃げ場を形成していることだってあるだろう。

でも一度最悪にとことん浸ったら、もう最悪に飽きてくる。
そこまで、黙ってなにもしなきゃいいんだ。
どうせ、生きるよ。

だから、せめて、自分の悪さを、とことん感じてみようよ。


人の言い方によって、また、だれが「言う」か、によって僕らは全くことなる印象を受けるし、感じる感情もそれぞれだ。

こんな時代だと、安全に生きることが大事な様な気になる。

こんな時代だと、節約が大事に思う。

こんな時代だと、効率的が美徳の様な気がしてくる。

いったいそれは誰が決めた感じ方なのか。

だから、無駄使いは、無駄では無いんだ。

命を無駄に使ってみよう。


大きな間違いなら、沢山してきた。
小さな間違いは、毎日あるし。

そんなことはどうでもいいじゃないか。

結局、ここからなんだから。
知らないうちにとんでもないくらい、人から奪うものがある。

俺が奪わなければ、きっと、きみはそれを、誰かに与えたにちがいない。

じぶんが大事だとおもっていることは、案外大したことはなく。

ほんとうにだいじなものは。

認識できていないことの方が、多いかもしれない。

それは、認識できていないというより。

あえて。

忘れさせられている。

という、優しい想いに。護れれているから。

なのかもしれない。